「イルカ先生…?」
5日間の任務から帰ったら、出かける前に張っておいた結界が解かれていた。
俺は不安になって部屋に駆け込み、愛しい人の名を呼んだ。
イルカ先生はちゃんと部屋にいて、俺はほっと肩をなでおろした。
「ただいま、イルカ先生」
「…お帰りなさい」
俺のほうを見もしないで、イルカ先生は言った。
それはあんまりでショ?
「アナタの恋人がこうして怪我もせずに帰って来たんだから、お帰りのキスくらいしてくれても良いと思うんですけど?」
「…一昨日、アスマ先生が来て、結界を解いて行きました。昨日からはアカデミーにも行っています」

俺の言葉を無視するようにイルカ先生は言った。
それって照れ隠し?
結界の事なんてどうでも良いのに。どうして結界を張ったのか忘れちゃったけど、こうしてイルカ先生が俺の帰りを待っていてくれたんだから、そんな事はどうだって良い。

「ねえ、イルカ先生。今日の晩御飯、何ですか?」
訊いた俺に、イルカ先生は答えてくれなかった。
またアカデミーの持ち帰り仕事で忙しいんだろうか。
「イルカ先生が忙しいなら、今晩は俺が作りますね」
「カカシさん」
言って、イルカ先生は俺をまっすぐ見た。
「お話があります。そこに座って下さい」
俺は言われるままにイルカ先生と向かい合って座ったけど、内心、不安だった。
アスマの奴、イルカ先生に何か余計な事を言ったんで無ければ良いけど。
「あなたは、子供を殺すのが嫌いですか?」
「……何ですか、ソレ。前にも言ったじゃないですか。判らないって」
「あなたは子供を殺すことで一種の発作を起こし、意識が飛んで自閉症のような状態になってしまうのだとアスマ先生から聞きました」
あの髭熊。余計な事を。
俺は、内心で舌打ちしながらにっこりと笑った。
「アスマがそう言ってるんならそうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。でも、それがどうかしたんですか?」
「恐らく、オビトさんを助けられなかった事がトラウマになってそんな発作を引き起こすのだろうとも、アスマ先生は仰ってました」

オビトの名に、俺は咽喉元を締め付けられるような不快感を覚えた。
イルカ先生の口から、オビトの名は聞きたく無い。

「あなたが毎朝、何時間も慰霊碑の前で過ごすのも、オビトさんを助けられなかった罪悪感からなんですね?」
「アスマの奴、そんな事も?」
イルカ先生は首を横に振った。
「あなたがいつも遅刻して来るというのはナルトから聞きました。朝はちゃんと家を出ているので、どうしてあなたが任務に遅れるのか気になって何度か後を尾けたんです」
「…それは気づきませんでした。イルカ先生、暗部に入っても充分やっていけますよ」
「茶化すのは止めて下さい」

イルカ先生の真剣な口調とどこか辛そうな表情に、俺は口を噤んだ。
イルカ先生が何を言おうとしているのか判らなくて、不安が募る。

「あなたは…そうやって自分ひとりで苦しみを抱え込んで、俺には何も話してくれない__何故なんですか?」
「…でも……昔の事だし__」
「今でもその事を引き摺っているのに?毎朝、何時間も慰霊碑の前で過ごし、戦場で発作を起こしてしまう程、その事に囚われているのに?」
何も言えずにいる俺を、イルカ先生は抱きしめてくれた。
「あなたが少しでも俺を好きでいてくれるなら、独りで苦しむのは止めて下さい。あなたが苦しんでいるのを目の当たりにしながら、話を聞いてやることも出来ないのは辛いんです」
「イルカ先生……」
アナタは、優しいね__俺はそう言って笑った。

でもオビトの事を話すのは出来ないんです。
話せば、今の幸せが壊れてしまうから。

「俺はね、今のままで充分に幸せなんです。アナタがいてくれるから。だから十年以上も前の事で愚痴をこぼしてアナタにまで不快な想いをさせたく無い」
「…俺では、役不足だと言うんですか?」
抱きしめている腕を緩め、俺を間近に見つめてイルカ先生は言った。
「俺に出来る事は、あなたの話を聞いて、こうして抱きしめるくらいの事でしかない。それでは……あなたは不満なんですか?」

間近に見つめられて、俺は心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。
少し潤んだように見える漆黒の澄んだ瞳。
この人は本当に綺麗な目をしている。
だから、汚すわけには行かない。

「俺は今のままで充分なんです。オビトの事はアナタには無関係でしょう?」
俺の言葉に、イルカ先生は俺から手を離した。
急速に失せた温もりに、俺は、うろたえた。





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