「まだ終わらないんですか?」
俺は暇を持て余して、イルカ先生にそう訊いた。
折角の正月休みだったのだから、二人で年越しソバを食べて、初日の出を見て、初詣に行って……
やりたい事はたくさんあった。でもイルカ先生に任務が入ってしまって、どれも出来なかった。
イルカ先生は無事に帰ってきてくれたけど、来学期の教案作りが済んでいないと言って、仕事を始めてしまった。
仕事の邪魔をすると怒られるから大人しく待っていたけど。
「…ねえ、イルカ先生。まだですか?」
「…もう少し、待っていて下さい」
背中合わせに座っているイルカ先生は、俺のほうを振り向きもせずに言った。
つれない。
忙しいのは判るけど、せめてこっちを向いて笑うくらいしてくれたって良いのに。
俺はつれない恋人の代わりに、イルカのぬいぐるみを弄んだ。
俺がクナイでつけた鼻傷を、指先でなぞる。
暇だ。
「イルカ先生ってばー」
俺は小娘みたいに語尾を延ばして愛しい恋人の名を呼んだ。
最近のイルカ先生は冷たい。
以前だったら俺が子供っぽい真似をすれば、ちょっと困ったように優しく笑って頭を撫でてくれたのに。
「折角のお正月なのに仕事ばっかりでつまんなくないですか?」
「……仕方ないでしょう。任務だったのだから」
「イルカ先生はアカデミーの先生でショ?受付はともかく、どうして危険な戦場に行くような任務までやらされなきゃならないんですか?」
俺は構って貰えないせいですっかり拗ねた気持ちになって、そう、訊いた。
こんな事、イルカ先生に言ってもどうしようもないのは判っていたけれど。
「…カカシさん。子供を殺すのは嫌いですか?」
「……はい?」
唐突なイルカ先生の問いに、俺はあの人の後姿を見つめた。
俺が答えずにいると、イルカ先生は同じ言葉を繰り返した。
「え……と。判らないです。好きとか嫌いとかの次元で考えたコト、無いから」
内心、幾分か不安になりながら、俺は正直に答えた。
「殺気向けられたら条件反射で誰でも殺っちゃうし。相手が子供だったらどうのって、考えた事、無いです」
「それはつまり、相手が誰でも構わず殺せるという事ですか?」
イルカ先生の言葉に、俺の不安は募った。
イルカ先生がどうしてこんな事を言い出したのか判らない。
子供が好きな人だから、俺が子供を殺したことを咎めているんだろうか?
俺は鼻に傷のあるイルカの縫いぐるみを抱きしめて、記憶を辿った。
イルカ先生と恋人同士になってからの任務で、子供を殺したことがあったろうか?
暗殺のターゲットが子供だったり、敵に子供といっていい位の年齢の忍がいた事は何度かあった。
でも、俺は手を下していない。
唯一思い当たるのは波の国で雷切の餌食になった白だけど、あの子は子供と呼ぶには少し、歳がいっていた。
「…イルカ先生。俺は__」
「俺は、殺せます」
俺の言葉を遮って、イルカ先生は言った。
「それが任務であれば、ナルトと同い年くらいの子供でも、もっと幼い子供でも、躊躇い無く殺せます」
俺は、縫いぐるみをぎゅっと握り締めた。
「どうして……アナタがそんな事を?」
アナタはいつだってお日様みたいに明るくて温かくて俺みたいに汚れてなくて光が似合って__
そのアナタが、どうしてそんな事を言うんですか?
イルカ先生は哀しそうな目で俺を見ると、すぐにまた視線を逸らせた。
「あなたは俺を理解していないし俺はあなたを理解できない。俺たちには__」
何の接点もないんです
「……何を言ってるんだか判りません」
縋るような気持ちで俺は言った。
咽喉がカラカラに渇いてうまく声が出せない。
「…アナタが躊躇い無く子供を殺せるというなら、それは俺も同じです。俺たちは忍なんだから」
「……アスマ先生は、そうは言っていませんでした」
アスマの名に、俺は張り詰めていた緊張の糸が解けるのを感じた。
何だ。
そんな事。
「もしかして俺がアスマと寝てるから怒っているんですか?いきなり子供がどうのなんて言い出すから俺、何の事かとびっくりしました」
俺はイルカ先生の背後から腕を回して、あの人を抱きしめた。
「そんな事、別にどうだって良いじゃありませんか。俺が好きなのはイルカ先生だけ。イルカ先生もそれを判ってるから俺とアスマの事に気づいてて何も言わなかったんでしょう?」
鈍い音がして、イルカ先生の手の中で鉛筆が砕けた。
俺は、思わずあの人から手を離した。
「……帰って下さい」
「…イルカ先生…?」
「今日はもう、帰って下さい」
イルカ先生の言葉に俺はうろたえた。
確かにここはイルカ先生のアパートだけど、恋人同士になってから俺はずっとこの部屋で暮らして来た。
イルカ先生のいる所が俺の帰るところ。
他には、無い。
「…急にそんな事、言い出すなんて酷いです。俺には行くところも帰るところもありません。イルカ先生の側だけが__」
「出て行ってくれ」
俺は言葉を失った。
あんまりだ。
アナタは俺の全てなのに。
俺の愛、俺の希望、俺の光。
俺の存在理由そのもの。
アナタがいなかったら、俺は死んでしまう。
「今からアスマを殺してきます。だから、良いでしょう?それでアスマとの関係は綺麗になくなるし」
何とかイルカ先生を宥めようと、俺は必死の思いで言った。
アスマの事なんか、どうでも良いと思ってた。でもイルカ先生がそれを不愉快に思うんだったら、きっぱりと止める。その証拠にアスマを殺すから。
だから、俺を追い出したりしないで。
「……止めて下さい……」
呟くように言って両手で顔を覆ってしまったイルカ先生を、俺はどうしたら良いか判らなかった。
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