「交渉決裂だ」
小隊長が言うのを聞いた時、俺は意外には思わなかった。
ひと月ほど前から続いているある峠での小競り合い。俺はそれに駆りだされていた。
アカデミー教師という職業はアカデミーが長期休暇の間は暇だと看做されるらしく、夏と冬の休みの間に里外任務を言い渡される事は珍しくない。
アカデミーと受付業務だけでは勘が鈍るので、時折、戦地に行くのも必要な事だ。
と言っても、俺に与えられた任務は伝令や物資補給などの後方支援で、下忍でも出来るようなCランク任務だ。それを告げたらあの男はあからさまにほっとした顔をして、俺のなけなしのプライドを傷つけた。

初めてあの男に言い寄られた時、俺は当然、からかわれているのだと思った。
里一番の業師と平凡な中忍。元暗部とアカデミー教師。
まるで不釣合いの見本だ。
からかっているのでなければ俺の身体を性欲処理に利用したいだけだと思った。
あの男が俺を抱きたがっているのではなく、俺に抱かれたがっているのだと知った時には意外に思ったが、そういう性癖の人間もいるから、驚くことでは無かった。
俺は取りあえず言いなりになって相手をしていればすぐに飽きられるだろうと思い、あの男を抱いた。
翌朝、あの男がまるで新婚の新妻みたいに嬉しそうにしているのを見て、うろたえた。
ただの気まぐれだと思ったそれは思いのほか長く続き、俺はあの男の事をもっと知りたいと思うようになった。
そして、気づいた時にはすっかり心を奪われていた。

「捕虜を連れて来い」
小隊長の命令に従い、俺と他の二人の中忍は捕虜を牢屋から出した。
他の二人は見るからに中忍になったばかりの新米で、これから何が起きるのかと、酷く緊張しているようだった。
これから起きる事は判りきっていると、俺は思った。
まだ十代半ばの新米二人を見、それから小隊長に向き直って言った。
「俺がやります」

『写輪眼のカカシ』の恋人だというせいで、俺は好奇の視線に晒された。
エリートに取り入って実力以上の地位を得ようとしているのだろうとか身の程知らずだとか、口汚く罵られもした。
俺はそんな連中の言葉には取り合わなかったが、はたけカカシと自分との差は、何かにつけ思い知らされなければならなかった。
そしてその『差』を、あの男は当然の事と看做していた。
俺も努力すれば上忍くらいにはなれるだろうが、天才にはなれない。
俺が下忍になったばかりの頃に既に上忍だったエリートには、どうしたって追いつける筈が無い。
それは変えようの無い事実で、その現実は俺も受け入れていた。
だが、俺とあの男の間の溝は、そんなものでは無かった。

初めの熱に浮かされたような情熱が鎮まり落ち着いた関係に収まった頃から、俺はその『溝』に気づき始めた。
俺が両親の思い出を話してもあの男はただ聞いているだけで、自分の家族の話をした事が無い。
任務から帰還している筈なのに俺の元には帰らずに、どこにいたのかも話さない。
俺が苛立ったり落ち込んだりしていると、何があったかしつこく聞き出そうとする癖に、自分が塞いでいる時には俺の言葉を__存在を__拒絶する。
俺だけが全てを曝け出し、あの男は高みから冷ややかに見下ろしているのだ。
優しい言葉を連ねるのも子供のように甘えるのも表面だけ。
心のうちは、決して見せようとしない。

俺は小隊長が頷くのを確認してから、他の中忍に手伝わせて捕虜をひとりずつ、丸太に縛り付けた。
全部で5人。
全員、術が使えないように後ろ手で縛り、目隠しをし猿轡をかませてある。
捕虜のうち二人は下忍になったばかりと思しき少年で、一人は前線を引退した方が良さそうな高齢だ。だからこそ捕虜になどなったのだと思えば、意外でも何でも無いが。
準備が済むと、小隊長は俺に短刀を渡した。
「我々は捕虜交換を申し出たが、敵は応じなかった。依って、捕虜の処刑を行う」
捕虜の少年と、新米中忍の肩がぴくりと震えたのが判った。
捕虜になった我々の仲間は既に処刑されて、その生首が送りつけられて来たのだ。
これは報復だ。
俺は迷わず少年の一人に歩み寄った。
先に殺してやるのが、せめてもの情けだろう。
「よく見ておけ」
小隊長が、新米の二人に重々しく言った。
俺は、捕虜の咽喉を掻き切った。

「平然とガキを殺せるたぁ、意外だったな」
処刑の済んだ後、そう声をかけてきたのは猿飛アスマだった。
いつからそこにいたのか、気配を感じなかった。流石は上忍だ。
前線に援軍が投入されると聞いているから、それが彼がここにいる理由なのだろう。
「俺も忍ですから」
俺のありきたりな答えに、アスマ先生は軽く眉を上げた。
「カカシの奴が知ったら……」
その何気ない一言に、俺は殺意に近い憤りを感じた。

俺の知らない『恋人』の一面を、この男は知っている。
俺には見せない一面を、あの男は他の男には見せているのだ。

「知らせる時は、俺から話します」
「…止めておいた方が良い。俺の口からだって話す気なんぞ、ねえ」
余計なお世話だ__内心で、俺は呟いた。
そして俺が平然と子供も殺せる人間なのだと、『恋人』に話す決意を固めた。




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