「ただいま、イルカ先生」

10日ぶりに会えたのに、イルカ先生はどことなく不機嫌そうだった。
何かあったんですか?__そう訊く間もなく、手を引いて寝室に連れ込まれた。

「服、脱いで下さい」
「大胆ですね、イルカ先生。まだお昼前ですよ?」

冗談めかして言ったけど、やはり気づかれてしまったようだ。
血のついた忍服は着替えたものの、血の匂いは消せない。
高々Aランク任務だったのに、こんな傷を負わされたなんて不覚だった。

でも、いつ怪我したんだか覚えてないんだよね。

「…やっぱり気づいちゃいました?」
「当たり前です。こんな------酷い……」

イルカ先生が眉を顰めるのを見て、俺の胸は痛んだ。
傷は痛くも何とも無いけれど、あの人の辛そうな顔を見ると心が痛む。
でもそうやって我が事のように俺の身を心配してくれるのは嬉しい。
イルカ先生は優しいから、他の誰かが怪我をしても親身になって心配はするのだろうけど、俺は特別だ。
俺が誰よりもあの人を愛しているように、あの人は誰よりも俺を想ってくれている。
それを実感できる喜びと引き換えなら、身体なんかいくら傷ついても構わない。

「こんな酷い怪我をしてるのに、どうして__」

いっそ手足を切り落とされて、動けなくなったらどうだろう?
そうしたらイルカ先生はいつも俺の側にいて、俺の面倒を見てくれるだろう。
毎日毎日、朝も昼も夜も一緒。
忌々しい任務なんかのせいで、何日もイルカ先生と会えない事もなくなる。

でも残念ながら却下。
そんな身体になったら、あの人を護れなくなってしまうから。

「どうして…先に病院に行かなかったんですか?」
「少しでも早くイルカ先生に会いたかったからです」

言ってから俺は、後悔した。言った言葉をでは無く、まっすぐにイルカ先生の元に帰って来なかった事を。
悪いのはあの髭だ。
気がついたら髭の部屋に連れ込まれてて、気がついたら次の日の朝になっていた。
少し、うしろめたくなって、俺は「予定より帰りが遅くなってしまったから」と言い添えた。
でも俺はイルカ先生だけを愛しているし、あの人もそれは判ってくれている。
悪いのは余計なお節介を焼いた髭熊だ。
あの熊、いつか殺そう。

「それに…俺、病院ってあんまり好きじゃないんです。イルカ先生以外の誰かに身体を触られるのもイヤだし」

髭とは確かにヤったけど、髭の事なんか何とも思っていない。
そうでもしないと俺が正気に戻らないって奴がいうからヤらせてるけど、何のことだか判らない。

「この傷は縫わないと駄目ですよ。俺も付き合いますから、今から病院に行きましょう?」

心配そうにイルカ先生が言うのを聞いて、俺は嬉しくなった。
アカデミーと受付業務を兼任しているあの人はいつもとても忙しくて、今日は貴重な休みなのに俺の為に一緒に病院に行くと言ってくれている。
子供じゃないんだから病院くらい一人で行けるけど、あの人の優しい言葉が嬉しくて俺は少し、甘えたくなった。

「だったらイルカ先生が縫って下さい。俺、麻酔の効かない体質だから、医者に縫われると痛いんです」
「俺が縫ったって痛いのは同じでしょう」

俺はイルカ先生の首に腕を回した。
イルカ先生が俺の傷を縫う様を想像したら、何だか身体の芯が熱くなってきた。

「イルカ先生だったら、良いんです。何をされても平気だから」

あの人の耳元で、俺は囁いた。
10日も会えなかったせいで、俺はイルカ先生に餓えていた。
俺の肌も髪もこの傷までもが、あの人を求めて止まない。
空気がなければ生きていけないように、イルカ先生がいなければ俺は生きていけない。
水が無ければ植物が枯れるように、あの人の笑顔がなければ俺の心は枯れてしまう。

だから、笑って?

「……病院に行きましょう。お願いですから」

そう言ったイルカ先生は自分が怪我をしているかのように辛そうに見えて、俺はうろたえた。
心配してくれるのは嬉しいけれど、辛そうなイルカ先生は見たくない。
どうしてこんな怪我なんかしたんだと、俺は自分を責めた。
任務は手筈どおりで、何の問題もなかった。
仲間に犠牲だって出なかった。
命令どおりターゲットを仕留め、護衛の忍びを殺した。
殺したのは7人。
そこまでは覚えている。でも、後の記憶が無い。

「…イルカ先生?ねえ、そんな辛そうな顔しないで下さい。見た目だけで大した怪我じゃ無いんです」

だって痛くもなんとも無いし__俺は鈍い痛みを感じ始めていたけれど、イルカ先生を少しでも安心させようとして、そう言った。

「病院に行って下さい__俺の為に」
「…判りました。だからそんなに心配しないで。本当に、大した怪我じゃ無いんですから」

俺はイルカ先生と連れ立って家を出た。
痛みは酷くなる一方だったけど、痛みなんか感じていないふりをした。

俺は、平気だから。
傷なんか何ともないから。
だからもう、心配しないで下さい。
だから、笑って?

病院に着くまでの間ずっと、俺はあの人の横顔に、心の中で囁き続けた。




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