口づけは血の味




自分が失望しているのだと気づき、今まで期待していたのだと、改めてサスケは思い知らされた。
南賀ノ神社地下の秘密の集会所で石碑を見た時に、イタチが自分を抱いたのは、ただ自分に封印されている白狐の力が目的だったのだと気づくべきだった。
嫌、おそらく理性ではその事に気づいていたのだ。
だが感情は理性を裏切り、まやかしでしかない甘やかな温もりを信じたがった。

その結果がこのザマだ。

背骨をへし折られ、血反吐を吐いている。
だがまだ戦えると、サスケは思った。
里を棄て、仲間を裏切ってまで大蛇丸の元で修行をしてきたのは、全てこの日の為なのだ。
この程度の負傷で挫けてなどいられない。

「俺と一緒に来い、サスケ」
草薙の剣の柄を握り締め直したサスケに、イタチは言った。
全く予想外の言葉にサスケは眼を瞠って相手を見る。
「何を……言ってやがる?白狐の力を独り占めする為に皆を殺したヤツに、オレが従うとでも思ってるのか?」
「うちは一族を滅ぼしたのは、お前の為だ」
「ふざけるな…!たった今、『その通りだ』と__」
「暁にいる理由が、尾獣を得る為だと言っただけだ」
イタチの言葉に、サスケは眉を顰めた。
イタチはサスケの傍らに片膝を付き、間近に見つめる。
「白狐は九尾から引き離されたせいでうちは一族を恨み、お前を内部から取り殺そうとしていた」
だから白狐を鎮める為に一族を滅ぼしたのだと、イタチは言った。
「信…じられるかよ、そんな事。第一、あんたは白狐と話でも出来るのか?」
サスケの言葉に、イタチは薄く笑った。
そして、サスケの頬に触れる。
「お前と繋がり、一つになる__そうすれば、白狐と会話が出来る」
「……!」

サスケの脳裏に、イタチとの幾度かの逢瀬が蘇った。
正確に言えば、その時のイタチの紅い瞳が。
イタチが写輪眼を発動していたのは自分に幻術をかける為だと思っていたが、理由は別なところにあったのかと驚愕する。

「どっちにしろ…オレを抱いたのは白狐の力を利用する為だろうが」
吐き棄てるように、サスケは言った。
その言葉にイタチは幽かに眉を潜める。
それがまるで哀しんでいるかのように見え、サスケは胸が疼くのを覚えた。
「……俺が何者であるか、まずそれを話さなければなるまい」
僅かな沈黙の後、そう、イタチは切り出した。

イタチの語った事は、どれもサスケには信じがたい話ばかりだった。
イタチが実は養子で、母親はミコトの姉だが父親は不明とされている事。
その父親とは実は魔性の者であり、それ故にイタチの母親は我が子を殺そうとしていた事。
イタチの母親が若くして衰弱死したのは、まだ自分が何者であるかの自覚が無かったイタチが無意識に生気を吸い取ってしまったからだという事__

「俺は幼い頃から忍の才があると看做され、お前の護衛役となるべく本家に引き取られた。無論、俺の正体が何であるか知っていたなら、そんな真似はしなかっただろうが」
俺に取っては好都合だったと、イタチは哂った。
「周りの人間の生気を吸い取らなくとも、お前の中の白狐がそれを与えてくれた。俺は白狐と何度か会話し、契約を取り交わした」
「……契約……?」
鸚鵡返しに、サスケは訊き返した。
イタチは頷いた。
「白狐の望みは恨みあるうちは一族を滅ぼし、再び九尾と共にある事だ。俺は白狐の望みを叶える代わりに、白狐がお前に危害を加えないように約束させた」
「じゃあ……暁にいて尾獣を得ようとしているのは……」
そう、と、イタチは言った。
「白狐との契約を果たし、お前を護る為だ」

------大好きだよ、兄さん。愛してる
------ああ……。俺もだ、サスケ。お前が……で、ある限り

何度も夢の中で繰り返された甘美な光景が、サスケの脳裏に蘇った。
このままイタチの言葉を信じ、イタチに身を委ねてしまえれば、どんなに楽か__
「俺と一緒に来い、サスケ」
もう一度、イタチは言った。
「人間どもの中に在っても、彼らはお前を白狐の器としか看做さない。所詮、人柱力とは尾獣の力を利用する為の道具。お前も同じだ」
イタチはもう一方の手もサスケの頬に添え、ゆっくりと引き寄せた。
「それともまだ、『復讐』がしたいか?」
「オレ…は……」
「俺のものになれ、サスケ」
間近にサスケを見つめ、囁くようにイタチは言った。
そしてそのまま、唇を重ねる。
睡魔に襲われた者が眠りに落ちるときの様に、抗い難い力に流されるままにサスケは瞼を閉じた。

------大好きだよ、兄さん。愛してる
------ああ……。俺もだ、サスケ。お前が…俺のモノで、ある限り



幽かに眉を顰め、だが殆ど無表情のまま、イタチはサスケを引き離した。
イタチとサスケ、二人の唇からはともに生暖かい鮮血が流れ落ちている。
そしてそれが草薙の剣に貫かれたイタチの臓腑から流れ出しているのは、疑うべくも無かった。
「……あんたが白狐と契約したのは、白狐の力を利用したいからに決まってる。九尾や他の尾獣も……」
「もしそうなら…とうにお前から白狐を引き剥がしている」
「いずれそうする積りなんだろう?九尾も手に入れたら、その時には……」
イタチはサスケを見つめ、指先で唇に触れた。
「そう思うのなら、俺に止めを刺せ」
「……あ……」
「俺を信じないのなら、俺を殺せ」
身体から力が抜けるのを、サスケは覚えた。
剣の柄にかけた手が、まるで神経を失ったかのようにぱたりと床に落ちる。
間近に自分を見つめる紅い瞳を、サスケは瞬きもせずに見つめ返した。
そして思った。
まるで血のように禍々しく、そして美しい__と。



「サスケ君……!」
術が解けたカブトと大蛇丸が駆け寄って来たのはその時だった。
イタチはゆっくりと立ち上がり、腹から草薙の剣を引き抜いた。
飛び散った鮮血が、サスケの頬にかかる。
「サスケ君を……どうする積り……?」
問うた大蛇丸を、イタチは無表情のまま見遣った。
「…話をしに来ただけだ__今日のところは、な」
「勝手な真似はさせないわよ。サスケ君は私の__」
イタチが一歩、踏み出すと、大蛇丸は思わず口を噤んだ。
金縛りにあい、何の反撃も出来ずに腕を斬り落とされた過去の記憶が苦く蘇る。
今、眼の前にいるイタチはかなりの負傷をしている筈なのに、そのチャクラは少しも揺らいでいない。
むしろこちらを威圧するかのように、重く圧し掛かってくる。
「全てはお前次第だ」
イタチはサスケに向き直って言うと、そのまま踵を返した。
悠然と立ち去るイタチを、誰も止める事は出来なかった。






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