何も感じなくなっても



「角都と飛段が木の葉に斃されたようですね」
伝令の式がもたらした暗号文を解読し、鬼鮫は言った。
「早く九尾の人柱力を捕獲しろと、我々にも要請が来ていますが」
「棄てて置け」
いかにも興味が無さそうに、イタチは言った。
この鄙びた温泉宿での滞在も3週間近くなる。
宿の従業員や他の宿泊客に少しずつ異変が起きてきているが、まだ騒ぎになる程ではない。
「動かないにしても、何か口実を作ったほうが良くないですか?取り合えず、返信くらいはしておかないと」
「こちらから動かなくとも、待っていればサスケは必ず俺の所に来る。そしてサスケが動けば、ナルトも必ずそれを追う」
一般の湯治客のような寛いだ浴衣姿で、イタチは言った。

尾獣封印の時には取り合えずチャクラを割いて協力はするが、それ以外でイタチが暁の指令に従った事が無いのを、ずっとパートナーだった鬼鮫は知っている。
3年前に木の葉の里に赴いたのも、ナルトの奪取ではなく、サスケに会うのが目的だった。
それを知っているのは、イタチ本人の他には鬼鮫だけだが。

「ですが……弟さんをこのままにしておいて良いんですか?」
鬼鮫の言葉に、イタチはそれまで逸らしていた視線を鬼鮫に向けた。
その紅い瞳は不思議なほどよくイタチに似合っていると、鬼鮫は思った。
「みすみす大蛇丸なぞに身体を奪われるほど、サスケは愚かではあるまい」
言って、イタチは櫛を手に取った。
朝、遅めに起き、遅めの朝食を済ませたが、まだ髪はおろしたままだ。
急ぐ必要は無いのだといつもイタチは言うが、鬼鮫は時折、軽い苛立ちを覚える。
戦いを好む性質の鬼鮫には、ただ無聊をかこつだけの日々は余りに生温く感じられるのだ。
それでも黒髪を梳るイタチの優美な姿を眺めていると、気持ちが落ち着くのだから不思議だ。

「髪、私がやりましょうか?」
「或いは……俺が思っている以上に愚かかも知れない」
鬼鮫の問いを無視するように、イタチは言った。
そして、苦笑とも冷笑とも取れる笑みを幽かに口元に浮かべる。
「サスケから冷静な判断力を奪ったのは俺だ。俺の事だけを考え、俺の事だけを想う様に仕向けた」
「そうまでする必要が…あったんですか?」
以前から疑問に思っていながら口に出せなかった問いを鬼鮫は問うた。
「アナタの狙いは白狐であって、サスケさんでは無いのでしょう?」
「サスケを支配出来れば、白狐も支配できる。その上、白狐を制御するのに自分のチャクラを使う必要も無い」
「成る程…」
鬼鮫が納得しかけた時、イタチは「或いは」と、呟いた。
「ただ単に、サスケそのものを支配したかったのかも知れない…」
「それは…つまり?」
イタチはすぐには答えず、梳ったばかりの髪をかき上げた。
それから、口を開く。
「俺がサスケの護衛となる為に本家に引き取られたのだという話はしただろう」
「その事が、アナタの矜持を傷つけたという訳ですか」

言ってしまってから、鬼鮫は幾分か後悔した。
イタチのようにプライドの高い相手と話す時は、言葉に気をつける必要がある。
だがイタチの表情にもチャクラにも僅かの変化も感じられず、鬼鮫は内心、安堵した。

「あの頃、何を感じていたかなど、もう忘れた」
言って、イタチは鬼鮫に櫛を手渡した。
鬼鮫はそれを受け取り、髪紐を持ってイタチの背後に回る。
「だが愚かなのはうちは一族だ。俺をわざわざサスケの側にいさせたのだから」
「…うちは一族は、白狐の事を知っていたんですか?」
「封印したのは彼らだ。そしてそれは、うちは一族だけの秘密だった」
成る程、と、鬼鮫は相槌を打った。
「一族の力とする為に、白狐を利用しようとしたんですね。人間の考える事は皆、同じという訳ですか」
鬼鮫の言葉に、イタチは幽かに笑った。
「忘れたのか?俺たちも、同じだという事を」
「ですが人の力で制御できるものでは無いでしょう?それは判っている筈なのに、どうして人間って生き物は__」
「だから、滅んだのだ」

口元に笑みを浮かべたまま、イタチは言った。
鏡に映るイタチのその姿に、背筋が寒くなるのを鬼鮫は覚えた。
紅い瞳が似合うのは、血の色が似合うからだ。
底の無い深い闇のような黒と、血のような紅。
どちらも、イタチの翳のある美貌にとてもよく映える。

「__それで、暁への返信はどうしますか?」
イタチの髪を結い終えてから、鬼鮫は訊いた。
「…久しぶりにサスケの顔を見に行くのも悪くあるまい」
突然のイタチの気まぐれに、鬼鮫はやや驚いて眼を瞠った。
そしてもしかしたら、イタチは木の葉にいた頃の感情を忘れてはいないのではないかと思った。
さもなければ、こんな風にサスケに執着する理由が無い。
「では、『九尾確保のために動く』と、返事を出しておきますね」
言った鬼鮫に、イタチは軽く頷いた。
イタチの真意が何であれ、自分はそれに従うだけだと、改めて鬼鮫は思った。






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