「気配消して人の話、立ち聞きするなんて、シュミ悪いよね」
「…聞くつもりだった訳じゃねぇが」
煙草に火を点けながら、アスマは言った。
「イルカは俺の弟みたいなモンだから、気になってな」
九尾事件の後、イルカは暫く火影の屋敷に引き取られていた。同じ頃、アスマも火影屋敷で暮らしていた。
姉ばかり三人の末っ子のアスマは弟が欲しかったし、一人っ子のイルカは兄弟が欲しかった。
そんな訳で、イルカが火影屋敷を出て一人暮らしを始めてからも、二人の兄弟のような関係は続いていた。
「にしても、よく毎日飽きもせず同じ事が繰り返せるな」
「毎日かどうか、どうして判る?」
「写輪眼のカカシがうみのイルカにつきまとって毎日、言い寄ってるって噂、知らねぇのは当のお前たちだけだろ」
カカシは踵を返し、黙って歩き出した。
アスマも、その後に続く。
「あんな無駄なことを続けて何になる?幾ら言い寄ってもイルカがお前に靡く事なんぞ、ないぞ」
「アスマには関係ないことでショ?それに」
カカシは覆面の下で、口元を自嘲気味に歪めた。
「毎日同じ言葉を繰り返しても、イルカ先生を煩わせるコトにはならないし」
「…それが判っていて、何故、同じ事を繰り返す?以前のイルカなら何十回も好きだと言われ続ければその内、絆されるって事もあっただろうが、今は…」
「今は、ドアを閉めた途端に俺の言葉なんて忘れる__俺と会っていた事すら」

イルカが任務で頭部を負傷したのは3ヶ月ほど前の事だった。
意識不明の状態が2週間近く続いたが、目覚めた時には、何の異常も無いかに思われた。
だが間もなく彼の異変は明らかになった。
イルカは傷を負う以前の事は覚えている。だが、新しく何かを記憶する事が出来なくなっていた。

「『前向性健忘症。脳の負傷が原因の器質障害で、治る見込みは無い』__イルカ先生を診察した医療忍が、そう言ってた」
「それなのに、何でお前は諦めない?」
「器質障害が原因なら、怪我をする直前のコトまでは覚えている筈なんだそうだ。だけど、あの人はその前の事まで忘れてしまっている」
言いながら、カカシは喋りすぎだと思った。
アスマがイルカを案じる気持ちは判るが、これは自分とイルカの間のプライヴェートな事だ。
アスマに根掘り葉掘り訊かれる謂われも、答える義理も無い。
「イルカが任務に行く前に、何があった?」
「…約束した」
それでも、カカシは口を閉ざさなかった。
イルカが退院してから1ヶ月。毎日、同じ事を繰り返している。
その事に、疲れていた。
「…約束?何をだ」
「戻ったら、返事をくれるって」

イルカが里外任務に行くことになった時、カカシは自分の想いをイルカに打ち明けた。
それまで二人はお互いの家を行き来し、一緒に酒を飲み、食事をするくらいには親しかったが、特別な関係だったわけでは無い。
カカシは自分の気持ちを告げ、イルカは答えを躊躇った。
そして、任務から戻ったら返事をすると、カカシに約束したのだった。

「毎日、断られてるじゃねぇか。それが、イルカの答えだろ?」
「大切な人がいるからって、あの人は言ったんだ」
自分が喋り過ぎていることに苛立ちながら、カカシは言った。
「それが自分だって思いたい訳か?」
「悪い?」
険悪な光を湛えた片方だけの眼で、カカシはアスマを見た。
すぐに、視線をそらす。
だが殺気にも似た気は隠しようが無い。
「__嫌…お前とイルカが仲が良かったのは俺も認める。だが__」
「もう帰れよ、髭。」
「今のイルカは、誰かと特別な関係を築く事は出来ない。今のあいつには、負担が大き過ぎる」
アンタに、何が判る__口から出かかった言葉を、カカシは噛み殺した。
今夜はもう、喋りすぎた。
「噂がイルカの耳に入る前に無駄な足掻きは止めたらどうだ?お前さんだって、イルカを苦しめたくはねぇだろ?」

カカシは答えなかった。ただ、黙って歩き続ける。
お為ごかしなアスマの言葉には吐き気がした。
同時に、イルカを諦められずにいる自分の執着にも。

「…俺はただ、答えが聞きたい」
「カカシ…。自分に都合の言い答えが聞けるまで粘る気か?」
「まさか」
短く言って、カカシは嗤った。
「それが聞けたところで、あの人は10分後には忘れてしまう。そんな事は、俺も判っている」
「だったら…いつまでこんな事を続ける積りだ?」
「さあね。深草の少将くらいには、粘っても良いかも知れない」
その前に、俺の気が狂わなければ__内心で呟き、カカシは歩き続けた。





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