あの男が俺の前から姿を消して3週間が過ぎた。
初め俺は、あの独占欲の塊のような男がすんなり俺を手放すとは思っていなかった。またいつ監禁されるかも知れないと、緊張を感じながら日々を過ごした。
が、何も起きなかった。
2週間が過ぎた頃から俺は漸く緊張を解き、久しぶりに同僚たちと一緒に飲みに行ったりした。
正直言って、安堵や解放感より喪失感の方が大きかった。
気が付くと2人分の食材を買ってしまったりしていて、苦笑した。
それでも、失ったものを嘆きはしなかった。元々、長続きする筈も無い不毛な関係だったのだ。
俺はあの男の荷物をまとめて箱に入れ、いつでも送れるように用意をした。
そうして俺の生活が平穏さを取り戻しつつあった時に、俺はあの男に再会した。
それも、戦場で。

それは領地を巡る大名同士の争いで、木の葉は一方の勢力から依頼を受けて戦闘に加担していた。
俺は下忍3人を部下とする小隊長として送り込まれ、他にも2つ、小隊が着任していた。その全体を束ねるのがはたけカカシという訳だ。
俺は初め、あの男が俺の前に姿を現さなかったのはこの任務のせいかと思ったが、そうでは無かった。あの男が前任者からこの任務を引き継いだのは1週間前なのだと、俺は別の小隊長から聞いた。
あの男は全員を集め、作戦の説明をした。
第1小隊が囮となって敵の注意を惹き、第2小隊がこれを補佐する。第3小隊は手薄になった敵の本陣に攻め入り、第1、第2小隊と第3小隊で敵を挟み撃ちにする。
俺が率いるのは、第3小隊だ。

「イルカ先生」
作戦会議の後、あの男は俺を呼びとめ、仲間から離れて二人きりになった。
俺は緊張感を覚えた。
が、あの男の態度は意外に穏やかだった。
「里では色々ありましたが、ここではアナタは俺の部下です。俺を信じ、俺の命令に従って下さい」
「判っています」
短く、俺は答えた。
戦場では上官に生命を預けるしかない。
何より、任務に私情を挟む気は、俺には無かった。
「里に戻ったら……」
途中まで言って、あの男は言い淀んだ。
「戻ったら…話し合いませんか?」

あの男の口調は穏やかだったが、片方だけの瞳は縋るように俺を見ていた。
まるで、棄てられてダンボール箱の中から見上げてくる仔犬か何かのように。
俺は胸の辺りに鈍い痛みを感じた。
が、決意を変える気は無い。

「あなたの荷物はまとめてあります。お送りするのが遅れ、申し訳ありません」
俺は敢えて事務的な口調で言った。
あの男は一瞬、表情を歪めたが、それは本当に一瞬の事でしか無かった。こちらこそお手数掛けて済みませんと言うとあの男は踵を返した。
去ってゆくあの男の猫背気味な後姿を見送りながら、これで全てが終わったのだと、俺は思った。
その考えが甘かったと気づくまで、さして時間はかからなかったが。


任務開始に備え、俺は部下の下忍たちと改めて作戦の打ち合わせをした。
3人とも、戦場での任務は初めてだと言う。
木の葉崩しの後、きつい任務が増えたのは確かだ。俺のような内勤の忍や、まだ経験の浅い下忍たちまでもがこうして戦場に駆りだされる。
「情報に拠れば敵に忍はいない。兵たちの殆どは農民だ。指揮する武士がいなければ彼らに戦闘能力は無い。だから武士を重点的に狙って倒せ」
無論、と俺は続けた。
「攻撃を受けたら相手が誰であろうと反撃しろ。躊躇うな」
「それなら初めから温情などかけず、全員を皆殺しにした方が確実なんじゃないですか?」
下忍の一人が訊いた。後の二人は、顔を見合わせた。
「温情などでは無い。農民は領地を支える力だ。だから彼らはなるべく殺さないようにというのが依頼主の意向だ。同じ理由で大掛かりな土遁や火遁の術は禁じられている」
俺の言葉に、3人は息を呑んだ。
これがどんな任務なのか、漸く彼らにも判ったようだ。
数の上ではこちらが圧倒的に不利。だが大技は使えない。
となれば、一人一人、敵を倒していくしか無い__生身の人間の身体を引き裂く感触を自分の手で感じ、生暖かくて鉄臭い返り血を浴び、一つの生命を己が奪ったのだと感じながら。



合図に従い、俺たちは行動を開始した。
気配を殺し、音を殺し、闇に紛れて敵の本陣へと進む。
月も無い闇夜は、こんな任務にはお誂え向きだ。
予定通りの時刻に、俺たちは本陣のすぐ側まで辿り着いた。
第1小隊の陽動作戦が功を奏したらしく、本陣は静まり返っている。恐らく、殆どの将兵はおびき出されてここにはいないのだろう。
だが。
何か妙だ。
それが何なのかは判らないが、『何か』が引っかかった。
「…どうしたんですか?」
動きを止めた俺に、下忍の一人が訊いた。
「判らない。だが…静か過ぎる」
「囮に引っかかって皆、出払っているんでしょう」
「それにしては__」

トラップだ……!

気づいた時には、起爆布が爆発していた。




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