「済みません、遅くなりました」
急ぎ足でアパートに戻り、駆け込むようにして部屋に入った俺を、カカシさんは「お帰りなさい」と笑顔で迎えてくれた。
部屋には灯りがともり、温かくしてあって、料理の良い匂いがする。
慣れない光景に俺は戸惑いと、一種のこそばゆさを同時に感じる。
「先にご飯にしましょうか?すぐに味噌汁とおかずを温めなおしますね」
「あ…いえ、俺がやります」
カカシさんについて台所に入った俺に振り向いて、カカシさんはもう一度、優しく笑った。
「イルカ先生は座わってて下さい。遅くまで仕事で疲れてるでショ?」
俺は「でも」と言いかけて止めた。
付き合い始めたばかりの頃、上忍に家事をさせるのが気が引けて全て俺がやろうとしたのだが、それをカカシさんは他人行儀だといって嫌がったのだ。

カカシさんは『木の葉一の業師』と呼ばれ、他国のビンゴブックにも載っている程の忍なのに、けっこうまめで器用で、意外に家庭的な人だった。
最初の夜を共に過ごした翌日、カカシさんは多くも無い荷物を俺のアパートに持ち込んで一緒に暮らすようになった。
俺はその頃まだカカシさんが俺を本当に好きなのだとは信じられず、復讐の為に俺に近づいたのではないかと疑っていた位だ。だから休みの日に一緒に洗濯や掃除をしたり、帰りが遅くなった日にカカシさんが夕食を用意して待っていてくれるという生活は、予想だにしていなかった。
カカシさんは優しくて、年下で格下の俺に対して対等に接してくれた。
誰もが憧れるトップクラスの忍の恋人であることを、俺は密かに誇らしく思った。
時折、カカシさんが見せる子供のような一面を、可愛いと思った。
「さ、食べましょうか?」
気がついたら、俺は向かいに座ったカカシさんを引き寄せ、口づけていた。
カカシさんの白い頬が赤く染まる。
俺自身、赤くなっているのが判る。
何で突然、こんなマネをしたのだか判らない。ただカカシさんを見ていたら、無性にキスしたくなったから。
「……イルカ先生?」
「さ…冷めない内に、頂きましょう。折角のカカシさんの手料理なんですから」
照れ隠しのために飯をかき込んだ俺を見て、カカシさんは幸せそうに笑った。






目が覚めた。
俺は半ば呆然として、暗い天井を見つめた。
自分がまだあの男に夢中で、『溝』など感じたことも無かった頃の夢。
今も傍らで眠っているが、まるで見も知らぬ相手のように感じられる。

一体、何がいけなかったのだろう?

あの男は自分の事は何も語ろうとはしない。それを不満に思う俺が間違っていたのだろうか?
毎朝、何時間も慰霊碑の前で立ち尽くす理由を詮索したり、任務の後でまっすぐ帰って来ないからといって気を揉んだりすべきではなかったのだろうか?
故意に傷の手当てをないがしろにしている姿を見ても、生きて帰って来てくれたのだから良かったと思うべきだったのか?
恋人同士であっても、全てを打ち明けて話す訳ではない。俺だって、四代目との事を話す積りなど無かった。
内勤の俺には、今でも暗部の任務をこなしているトップクラスのエリートを理解する事など出来ないのかも知れない。
何の力にもなれないなら話を聞いても無駄なだけ__そう思って、ただ一緒にいられる事で満足するべきだったのか?

「……イルカ先生?」
いつの間に目を覚ましたのか、あの男が俺の名を呼んだ。
「どうかしたんですか?どこか痛いの?」

俺は答えなかった。
一体、何を言えば良い?

「ねえ、何で泣いているんですか?」
ガキの頃、よく慰霊碑の前で泣いていた。
その時と同じ事でも言えば言いのだろうか?__これは、嬉し涙なのだと。
「泣かないで、イルカ先生……」
あの男は寝返りを打つと、長い腕で俺を抱きしめた。
何故、俺を選んだ?
何故、俺を放そうとしない?
何故、俺に好きだなんて言う?
口には出せぬ言葉を噛み締め、俺は絶望に似た孤独を感じていた。





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