口から出るのは本音だけ
幾分か驚いたように瞬きもせずに自分に視線を向けているイタチの姿に、サスケは己を呪いたくなるくらいに後悔した。
いたたまれずに視線をそらし、そのまま部屋を出ようと立ち上がる。
「……サスケ」
イタチに呼び止められても、振り向く事が出来ない。
「…サスケ?」
もう一度、イタチは弟の名を呼んだ。
視線は正面に向けたままだ。
「お前が今、言ったのは__」
「忘れてくれ」
相手の言葉を遮って、サスケは言った。
「オレが言いたかったのはただ、兄さんに触られるのは嫌じゃないけど、もう、子供じゃないんだから……」
曖昧に語尾をぼかしたサスケに、イタチは暫く口を噤んでいた。
それから、改めてサスケの立っている方に向き直る。
そして、サスケを手招いた。
他にどうする事も出来ず、サスケはイタチの側に座った。
「その気も無いのに、とは、どういう意味だ?」
イタチに問われ、サスケは思わず視線を逸らせた。
イタチにはこちらの表情も何も見えないのだと判っていても、イタチの顔をまともに見ていられない。
「オレはただ…もう、8歳の子供じゃないんだから、頭を撫でたりされるのは__」
「それで誤魔化している積りか?」
イタチに問われ、サスケは言葉を失った。
イタチは笑った。
今までに見たこともない、妖艶な笑みだ。
イタチはゆっくりと手を伸ばすと、サスケの頬に触れた。
焦らすかのように軽く愛撫し、指先で唇をなぞる。
「俺にその気がないなどと、どうして判る?」
「……兄さん……」
思ってもいなかった兄の言葉に、サスケは驚いて相手を見つめた。
心臓が、早鐘のように鼓動を打っている。
「お前が俺の部下に嫉妬したのは知っている。だがそれは、ただの独占欲だと思っていた」
イタチはサスケを引き寄せ、息がかかる位に間近で続けた。
「お前が俺に対して兄弟以上の感情を抱いているなら……それは俺も同じだ」
「……!」
言葉も無く、サスケは間近にイタチを見つめた。
妖艶な笑みを浮かべたイタチはぞっとするほどに美しく、酔ったかのように思考が麻痺する。
身じろぐ事も出来ず、そのままイタチの腕に抱きしめられた。
「お前が俺と同じ気持ちでいるのを期待していながら、言い出す事は出来なかった…。無論、他人に知られる訳には行かないし」
「…兄さ……」
眩暈のするような幸福を感じながら、サスケはそれに浸りきる事は出来なかった。
イタチの言葉が信じられない。
イタチの冤罪が晴らされた時にすぐには信じられなかったように、感覚がそれを受け入れる事を拒んでいる。
或いは、実の兄弟でありながら越えるべきでない一線を越えようとしている事への、罪悪感がそうさせているのかも知れない。
「お前が俺と同じ気持ちでいる事が判って嬉しい」
だが、と、サスケの髪を撫でながら、イタチは続けた。
「唯一つ残念なのは、お前の顔が見られないことだ」
「それ…は……」
------それがお前の答えか?
綱手の言葉が、サスケの脳裏に蘇る。
------本当に、それで良いのか?
罪悪感が募るのを、サスケは覚えた。
イタチの部下の女に嫉妬し、イタチを独り占めしたくて移殖を断った。
イタチも自分と同じ気持ちだと知った今、イタチを危険な前線になど行かせたくないという想いは一層、強くなっている。
だがイタチから光を奪っているのは自分だ。
そして自分のその独占欲のせいで、イタチから忍としてのプライドまで奪っているのかも知れない。
後方任務でありながらクナイを研ぎ、完全に失明しているにも拘わらず修行を怠らないイタチは、第一線に復帰し、天才の名に相応しい活躍を望んでいる筈なのだ。
「お前は何度か五代目に会いに行っているようだが…」
サスケの背を愛撫しながら、イタチは言った。
「俺の眼が治る可能性は、本当にもう、全く無いのか?」
「……」
何も言えず、サスケは歯噛みした。
罪悪感に、押し潰されそうだ。
イタチはサスケを抱きしめている腕を僅かに緩め、間近で見つめるかのようにサスケに視線を向けた。
何も言えずにいるサスケを促すかのように、口元に笑みを浮かべる。
「移殖すれば……」
自分の意思ではない何物かに突き動かされるように、サスケは口走った。
言ってしまってから後悔したが、後戻りは出来ない。
「オレの片眼を移植すれば、視力の戻る可能性が高いって、五代目は言ってた。元通りに写輪眼が使える可能性も……」
サスケの言葉に、イタチの口元から笑みが消えた。
「…俺には、そんな話はひと言もしなかった」
「それは……」
居たたまれない気持ちになり、サスケは視線を逸らした。
「俺…が、断ったから……」
すっと、イタチはサスケから手を離した。
そして、煩そうに前髪をかき上げる。
「…自分の眼を犠牲にするのは嫌か」
「そうじゃない!そうじゃなくてオレは…兄さんを危険な前線になんか行かせたくなかったから……」
言い様の無い不安が募っていくのを、サスケは確かに感じていた。
突き放すかのような表情のイタチに、縋りついて赦しを請いたい衝動に駆られる。
今からでも遅くは無い。
五代目に話して眼の移殖を…と。
だがサスケはそうしなかった。
俺も同じ気持ちだというイタチの言葉が信じられなかった理由、言い様の無い不安の原因__それが何であるのか、麻痺しかけた思考の中の未だに醒めた一点が、答えを導き出す。
移殖を断ったのだと聞いた時のイタチの冷たい表情が、信じたくない真実をサスケの眼の前に突きつける。
「前線に戻ったからと言って、俺がそう簡単に誰かに仕留められるとでも思っているのか?」
「……そうは、思わない」
「ならば移殖の話、もう一度、考え直してみてはくれないか?」
サスケは固く眼を閉じた。
もう、疑いの余地は無い。
あの誇り高い兄が、こんな浅ましい言葉を口にする筈が無い。
「貴様……何者だ」
「……サスケ?急に何を__」
「オレの兄さんの身体を乗っ取って、オレから写輪眼を奪い取ろうとしている貴様は何者だ…!?」
叫ぶのと殆ど同時に、サスケは数歩、後ずさった。
チャクラを右手に集中させ、そのまま相手の心臓、目掛けて放つ。
「俺を殺せばイタチも死ぬぞ」
鋭い刃と化したチャクラは、その言葉に行き場を失って消えた。
「……それで命乞いしている積りか」
身構えたまま、サスケは言った。
イタチの姿をした者は、嘲るように笑った。
「事実を言ったまでだ。もっと言えば、俺がこうして憑依しているお陰でイタチは生き延びていられるのだ」
「…どういう意味だ」
「イタチは不治の病に冒されていて、遠からず死ぬ運命だった。だから、俺と取引をした」
サスケの脳裏に、うちはマダラの攻撃に晒されて倒れるイタチの姿が蘇った。
「貴様……うちはマダラか?」
イタチの姿をした者はただ哂った。
それだけで、答えとしては充分だ。
「兄さんが貴様との取引に応じる筈が無い。兄さんは貴様を斃そうと__」
「話は最後まで聞け」
威圧するように、マダラは言った。
思わず、サスケは口を噤む。
「イタチは元々、俺の思想には共感していた」
「そんなたわ言、誰が信じ__」
「黙って聞け!」
再び、サスケは口を噤んだ。
マダラの迫力に気圧されたのでは無く、真実を知りたかったからだ。
そしてそのサスケの内心を見て取ったかのように、マダラは再び語り始めた。
「…俺と初代火影は共に木の葉の里を創り上げたが、俺が理想とするところと奴が目指すものは異なっていた。議論は口論となり、口論は戦いへとエスカレートし、最後は後に終末の谷と呼ばれるようになったあの場所での決闘となった」
その戦いでうちはマダラは破れ、直後に自ら生命を絶った。
だが自殺したのは理想を諦めたからでは無く、限りある肉体を棄てる事により、精神を肉体の限界を超えて生き永らえさせる為だ。
マダラの意志は、そのままうちは一族が引き継いだ。
表面上は里に従いながら、いずれマダラの理想を実現するために画策していたのだ。
南賀ノ神社地下の秘密の集会所も、里の外にあるアジトも全てその為だ。
「だったら……どうして一族を滅ぼしたりした?」
「滅んでなどいない」
言って、マダラは両腕を広げ、自分の__と言うよりイタチの__身体をサスケに示した。
「俺は肉体を棄てた事で、永遠に近い生命を手に入れた。だが肉体を伴わない身では、出来る事が自ずと限られる。だから肉体を取り戻す事にした。そして、それには膨大なチャクラが必要となる」
「……まさか…」
そうだ、と、マダラは哂った。
「うちは一族は、俺が再び顕現する為に、自ら進んで生命を投げ出したのだ。そうしてこの俺と一体化する事を、自ら望んだ」
その当時、マダラの思想に反対していたのはうちはシスイだけだった。
それで一族はシスイを生贄に定め、シスイの身体をマダラが顕現する為の器と為し、転生に必要なチャクラを、一族全員の死を以って贖った。
例外は、マダラの直系の曾孫であり、マダラの意志を継ぐ力を持つと看做されたイタチとサスケだ。
イタチはシスイを慕っていた事もあって一族に反発し、一時は一族から処分すべきだとの声も上がったが、それを鎮めたのはマダラだ。
「イタチは俺の思想には共感していた。うちは一族も木の葉の里も、忍という存在そのものが、このままではいずれ滅亡する。変わらなければならないのだ…と」
ただ、と、マダラは続けた。
「変革の為の犠牲の大きさが、イタチには気に入らなかったようだ。実の兄のように慕っていたシスイの影響もあっただろう。それでイタチは表面上は俺に従いながら、裏では俺を滅ぼす為に動いていた」
「……その兄さんが、貴様と取引なんかする筈が無い」
サスケの言葉に、マダラは哂った。
そして、憐れむような表情を浮かべる。
「言った筈だ。イタチは、俺の思想には共鳴していた。ただ多くの犠牲を伴うやり方が、気に入らなかっただけだ」
だから、と、マダラは続けた。
「方法を変えるのならば、イタチは俺に協力する事を拒まない。それに何より、俺と契約するので無ければ、イタチは生きられなかった」
「だからって、兄さんが貴様と契約なんか__」
「お前の為だ」
相手の言葉を遮って、マダラは言った。
ぴくりと、サスケの指先が震える。
「イタチはお前の行く末を案じていた。イタチが俺と契約してまで生き延びようとしたのは、一つにはお前の事が心配だったからだ」
「…そんな言葉に、オレが惑わされるとでも思っているのか?」
マダラの口元から、笑みが消える。
ゆっくりと、マダラは眼を閉じた。
「……!……」
その刹那、流れ込んできた感情に、サスケは身を強張らせた。
幼い頃の思い出。
里での地位と一族の保身ばかりに執着するうちは一族への苛立ち。
一族を、そして忍の世界を変える力を持ったマダラへの共鳴と、目的の為に手段を選ぼうとしないやり方に対する反発。
そして何より、唯一無二の弟であるサスケへの深い愛情と、復讐だけに生きて来た弟の行く末を案じる想い__
両目から溢れる熱い滴を、サスケはどうする事もできなかった。
言葉も何も介さずに直接、流れ込んでくるイタチの感情に、それがただの幻術に過ぎないのではないかという疑惑など跡形も無く消え去る。
「…あの最後の戦いで、あのままでは俺もイタチも、どちらも生き残れない事が判った」
やがて瞼を上げると、マダラは言った。
「そして忍の世を変えなければならないのだという想いは、二人とも同じだった。それに、うちは一族の行く末を、お前に託す気持ちも」
だから、と、マダラは続けた。
「あの戦いの最中(さなか)に、俺はイタチに契約を持ちかけた。己の早すぎる死を運命と受け入れながらも、為すべき事をやり遂げられずにいる無念を感じていたイタチは、最後には俺の申し出を受け入れた」
「…そんなたわ言、誰が信じる?あんたたちは言葉も交わしていなかったのに」
目元を乱暴に拭い、サスケは言った。
マダラは、見つめるようにまっすぐにサスケに視線を向ける。
「たった今、理解した筈だ。言葉など、必要ないと。そして俺がイタチの身体を奪い取ったのではなく、イタチの精神(こころ)はまだ、この身体の奥底で息づいているのだ…と」
サスケは、何も言えずに相手を見つめた。
マダラの攻撃に晒されたイタチが倒れ伏す姿が脳裏に蘇る。
あの時、気が狂うほどに願った事は、イタチが死なずにいる事だった。
たとえどんな形でも良い。生きていて欲しい…と、ただそれだけを望んだ。
そしてその願いは、皮肉にも『敵』によって叶えられたのだ。
「俺の言葉はイタチの言葉でもある。そしてお前の唯一の望みは、イタチがお前の側にいること__違うか?」
マダラの言葉を、サスケは否定できなかった。
思考が、ゆっくりと麻痺してゆく。
「…サスケ」
兄の口調に戻り、マダラ__イタチ__は、弟の名を優しく呼んだ。
そして、サスケを手招く。
「ここに、おいで」
意志を失った操り人形のように、サスケはイタチの側に歩み寄り、隣に座った。
そのサスケの頬に、イタチは軽く触れる。
その途端に溢れ出す涙を止める事は、サスケには出来なかった。
「俺はお前の気持ちを大切にしたい。だが…俺たちには為すべき事がある」
静かに、イタチは言った。
「それをお前に押し付ける積りは無いが、俺は……お前がうちはの未来を担い、忍の世を変える力になるのだと、そう、信じている」
言って、イタチはサスケの頬に伝う滴を優しく拭った。
イタチの口元に浮かぶ穏やかな微笑を、サスケは見ることが出来なかった。
後書き
本誌で兄弟対決(!?)が近づいているので、ギリギリの更新です;
兄弟生誕祭に寄稿した「だったら良いな」妄想の、ダークバージョンです。
ダークバージョンと言っても余り哀しい結末にはしたくなかったので、それなりに救いを残してみました。
書き始める前は、嫉妬にぶち切れたサスケがイタチさんを座敷牢に監禁しちゃって…みたいなパターンも考えてはいたんですが、いくら失明してても、イタチさんがそんなに無防備じゃないだろうと。
ともあれ、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
ここまで読んで下さって、有難うございましたm(__)m
BISMARC
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