泣きたい今と笑いたかった一瞬前




「やったってばよー!」
中忍試験結果発表の日、合格の喜びを全身で表しているナルトを、サスケは幾分か冷ややかな眼差しで見た。
「相変わらずだな、お前は」
「何が『相変わらず』なんだってば?」
「そういう、ガキみたいなところがだ」
ナルトは一瞬、不満そうな顔をしたが、すぐに相好を崩した。
「サスケだって本当は嬉しいクセに。顔にかいてあるぞ?」
「オレは別に__ただ落ちたらみっともないと思っただけだ」
「要するに、受かって嬉しいんだってば?」

サスケは反論しようとして、止めた。
13で暗部分隊長昇格とともに上忍となった兄にはまだ追いつけないが、これで一歩、近づいた事になる。
嬉しくないと言えば嘘になる。
今日が合格発表の日であるのはイタチも知っていて、失望させずに済んだと思うと尚更だ。

「試験に受かったらイルカ先生がラーメンおごってくれるって言ってたんだ。サスケも一緒に来ないか?」
新しく受け取った認識票(ドッグタグ)を誇らしげに首にかけながら、ナルトは言った。
「お前、まだイルカ先生にたかってるのか」
呆れたように、サスケは言った。
「アカデミー卒業して何年になると思ってるんだ?」
「そんなの関係ないってばよ。イルカ先生はオレの父ちゃんみたいな人だから」
「あの人、まだ二十代だぞ」
「サスケの事は、兄弟みたいだって思ってる」
サスケの言葉を無視して、ナルトは言った。

------オレの兄弟は…殺したい男…ただ一人だけだ

かつての自分の言葉が脳裏に蘇り、サスケは歩みを止めた。
あの頃も今も、イタチを唯一無二の兄弟だと思う気持ちに変わりは無い。
あの頃はイタチを殺すことしか考えていなかった。
そして今は、イタチを危険な前線に送りたくないが為に、眼の移殖を断った。
幼い頃から天才の誉れ高い兄が、眼が見えないがゆえに後方で燻っていなければならないせいでどれほど忍としての誇りが傷ついているか、それは充分、承知している。
にも拘わらず、イタチが光を取り戻す可能性を潰してしまった。
それも、イタチが部下のくのいちの家に泊まった事で嫉妬して。
どうかしている、と、サスケは思った。
やっと一緒に暮らせるようになった兄を危険に晒したくないと思う気持ちはともかく、嫉妬するなどどうかしている。
綱手に移殖拒否の返事をしてからは敢えてその事を意識に上らせないようにして、中忍試験に打ち込んできた。
だが試験が終わって気持ちの落ち着いた今、改めて考えると自分の決断は間違っていたのではないかと思う。

「…サスケ、どうしたんだってばよ?」
不意に立ち止まり、口を噤んだサスケに、心配そうにナルトは訊いた。
「…お前がオレの兄弟だったとして」
「だから、兄弟みたいに思ってるってば」
「オレが結婚するって言ったら、どう思う?」
サスケの言葉に、ナルトは両目を大きく見開いた。
「結婚!?サスケ、結婚するのかってば?」
「バカ。仮定の話だ。たとえば5年くらい先に、そういう事があったらって喩えだ」
びっくりさせんなよ、と、大袈裟にリアクションして、それからナルトは笑った。
「そりゃ、勿論、嬉しいさ__相手がサクラちゃんでなきゃ」
「嬉しい…か?」
「だっておめでたい、良い事じゃん?自分の兄弟が幸せになるなら、オレも嬉しいってばよ」
幽かに、サスケは眉を顰めた。
「本人の意思を無視して、上から押し付けられるような結婚でも、か?」
サスケの言葉に、ナルトの表情は、怒りのそれに変わった。
「押し付けなんておかしいってばよ。好きでもない人と結婚させられるんだったら、絶対、反対するってばよ」
でも、と、ナルトは続けた。
「何で急にそんな事、言い出すんだ?もしかして、イタチ兄ちゃん、結婚するってば?」
「…嫌」

その場で断ったと、イタチは言っていた。
だがそれならば何故、あの女の家に泊まったのか、他にも部下はいた筈なのに、何故、あの女がイタチを自宅まで送ってきたのか__そんな疑惑がサスケを不快にさせる。
だが不愉快に思うのは間違いだと、サスケは自らに言い聞かせた。
イタチに言われた通り、自分は過去に固執して、8歳のあの夜で時を止めてしまったのかも知れない。
あれ程までにイタチを憎んでいたのは、両親や一族を殺されたからと言うより自分の信頼を裏切られた事への憤りで、冤罪が晴らされた今、その反動でイタチに甘えたいだけなのだろう。

「喩えを変えよう。もしイルカ先生が結婚するなら、お前、どう思う?」
「それは……嬉しいってばよ」
サスケは軽く笑った。
「さっきの勢いが無いな。おめでたい、良いことなんじゃないのか?」
「そうだけど…。イルカ先生ってばカノジョもいないし。結婚なんて想像つかないってばよ」

むくれた表情で視線を逸らせたナルトに、サスケはもう一度、笑った。
感情表現の豊かなナルトは何を思っているのか判りやすい。
イルカが結婚して子供でも出来れば、今までのように『父ちゃんみたい』に思って甘えられなくなる。
その事に、一抹の寂しさを感じているのだろう。
そしてそれは恐らく、イタチの部下のくのいちに嫉妬する自分の気持ちと同じ類のものだ。

「でも、結婚するんならお祝いするってばよ」
すぐに明るさを取り戻して、元気良くナルトは言った。
きっとナルトならばイルカの子供を可愛がって、そして兄貴ヅラするのだろうと、サスケは思った。
そうやってイルカとの繋がりを保ったまま、甘えからは脱却していくのだろう。
そして自分ももう少し時間がたって落ち着けば、兄への呪縛とも言うべき固執から脱却できるだろうし、そうでなければならないとサスケは自らに言い聞かせた。
移殖の事は、その時にもう一度、考え直せば良い。

「でさ、一緒に来るか?一楽」
サスケは首を横に振った。
「兄貴が待ってるから。詰所まで迎えに行かないと」
「毎日、送り迎えしてんのか?」
「試験の間は行けなかったからな。今日は迎えに行くって言ってある」

じゃあな、と言い残して、サスケは地を蹴った。
電柱から電柱へと跳び、暗部の詰所へと向かう。
ナルトと話したのが良かったのか、気持ちが軽くなっているのが判る。
「部隊長はもうお帰りになった」
だが詰所でサスケを待っていたのは、部下の素っ気無い言葉だった。
「帰ったって…まさか一人で?」
「部下が送って行った」
それだけ言うと、取次ぎの暗部は詰所の厚い扉を閉ざした。




サスケはそのまま自宅に向かったが、考えたくない事ばかりが頭に浮かんで気持ちが塞いだ。
今日は迎えに行くからと、朝、家を出る時に念を押したのだ。
それなのに先に帰ってしまったイタチに、裏切られたような気持ちになるのを抑えられない。
そしてサスケの嫌な予感は外れなかった。
家に帰りついた時、ちょうど玄関から出てくる暗部のくのいちと鉢合わせしたのだ。
くのいちは何も言わず、サスケに軽く会釈してその場から立ち去った。
すれ違いざまに、イタチが朝帰りした時と同じシャンプーの匂いがサスケの鼻腔を刺激する。
胃が重苦しくなるのを、サスケは感じた。

「早かったな、サスケ」
まだ玄関にいたイタチが、サスケの気配に気づいて言った。
「今日は迎えに行くって言ったのに…」
「済まない。先に準備しておきたかったから…」
「準備?」

鸚鵡返しに、サスケは訊いた。
イタチはただ笑い、踵を返した。
サスケが兄の後について行くと、茶の間に夕食の支度がしてあった。
ひと目で祝い膳とわかる華やかなものだ。

「暗部のルートで、お前が中忍試験に合格したのを聞いて、何かお祝いをしたいと思ってな」
どんな事をすればいいのか相談したところ、あの部下が食事の用意をしてくれたのだと、イタチは続けた。
「……さっきのあの人が、作ったのか?」
ああ、と、イタチは笑った。
「俺には見えないから何が用意されているか判らないが、なるべくお前の好物を入れてもらった」
「この前、泊まったのも、あの人の家だろ?」
「…よく判ったな」
この前は物陰から声を聞いただけで姿は見ていないし、さっきは面を付けていたので顔は見ていない。
だがあの幽かな甘い匂いは、確かに同じものだ。
「……結婚、断ったんじゃなかったのか」

僅かに躊躇ってから、サスケは訊いた。
そしてすぐに訊いた事を後悔する。

「断ったのは、それが相談役からの押し付けだと思ったからだ。うちは一族はもう俺とお前しか残っていない。その血筋を絶やさぬ為の縁談だと…」
だが、と、イタチは続けた。
「彼女は俺が下忍の頃からの知り合いで、何度か同じ任務に就いた事がある。俺が里抜けした後も、ずっと俺の無実を信じていてくれたそうだ」
そんなの、後からなら何とでも言える__言いかけた言葉を、サスケは噛み殺した。
「俺と同じ部隊に配属してくれるよう、大叔母である相談役に頼んだのだが、周囲が勝手に話を大げさにして伝えたので相談役が誤解したらしい」
「……まったくの誤解って訳でも無かったんじゃないのか?少なくとも、あの人が兄さんを好きだって事は」

イタチは答える代わりにただ笑った。
それは苦笑や困惑を含んだそれではなく、イタチの相手の女への気持ちを量り知るには充分だ。
家に泊まったのも祝いの相談をしたのも料理を作らせたのも、全てが同じ事を示唆している。

「…それで、これからどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「あの人と。やっぱり結婚するのか?」
イタチはもう一度、笑った。
「それを決めるのは早すぎるだろう。結婚どころか、まだ深い仲という訳でもない」
だがこのまま行けばいずれは__そう思うと、胸がむかつくような不快感をサスケは覚えた。
これはただの病的な執着心で、結局は甘えに過ぎないのだと自分に言い聞かせようとしても、不快感は増すばかりだ。
「冷めない内に、食べよう」
イタチに言われ、サスケは箸を取った。
が、どの料理にも手をつけることが出来ず、イタチに知られぬようにこっそり棄てた。






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