月
「良い月夜ですねぇ…」
傍らを歩くイタチにそう、鬼鮫が声を掛けると、イタチは黙ったまま立ち止まり、空を見上げた。
蒼白い月が、木々の頂に柔らかい光を放っている。
「…少し、休憩しますか?」
先ほどからひと言も口を利かないイタチに、鬼鮫はそう、訊いた。
その日の任務で仕留めたターゲットはその仲間共々中々に手強く、イタチは少なくとも2度、万華鏡写輪眼を発動していた。
何も言わないが、疲れている筈だ。
鬼鮫自身も上忍レベルの敵、それも片手では足りぬ数の相手とまとめて戦わねばならず、身体はかなり疲弊している。
が、戦いを好む鬼鮫には戦闘の疲労はむしろ心地よく、まだその興奮から醒め切っていない。
だがイタチは好戦的な性質(たち)では無いし、何より金に換える為に人を殺すという任務が気に入っていないらしい。
「…そうだな」
短く言うと、イタチは木の根元に腰を降ろした。
その傍らに、鬼鮫は貴人を護衛する兵士のように立った。
蒼白い月の光を浴びたイタチの姿は、この世の者ではないかのように美しい。
「……どうかしたか?」
黙って自分を見つめる鬼鮫に、イタチは訊いた。
鬼鮫は幽かに苦笑し、イタチの隣に腰を降ろした。
「…こうして月の光の中で見ると、アナタの美しさは怖い程だと思いましてね」
僅かに躊躇ってから言った鬼鮫に、イタチは怪訝そうな表情を見せた。
「怖い…?お前が、俺を恐れるのか?」
イタチが戦う姿を見る時には、いつもその圧倒的な強さに畏怖の念を禁じえない。
だがイタチの美貌を『怖い』と思うのは、全く別の次元だ。
鬼鮫はゆっくりと手を伸ばし、イタチの前髪をそっとかきあげた。
イタチが嫌がるそぶりを見せないのを確認してから、鬼鮫は相手の肩に腕を回した。
ごく自然な感じで、イタチが身を凭れ掛けて来る。
そうしていながらも尚、鬼鮫はイタチと自分が深い仲であるのが信じられなかった。
ツーマンセルのパートナーとしては、8年も寝食を共にして来ている。
それでもイタチほどの美貌の持ち主が、恋人として自分を選んだのだとは、未だに信じられない。
イタチが美しければ美しいほど、臆病になってゆく自分を内心で鬼鮫は哂った。
からかわれ、慰み者にされているだけではないのか。
イタチが自分を選んだなど一時の気まぐれに過ぎず、すぐに飽きられて棄てられるのではないか__
幾度、肌を交わしても、その不安は拭えない。
イタチが余り感情を見せない性質であるだけに、尚更。
そしてこんなにも不安になるのは、自分がそれだけイタチに溺れている証拠なのだと思うと、恐ろしいと感じずにはいられない。
こんなにも何かに、そして誰かに執着するのは初めてだ。
もしもイタチを失ったら自分がどうなってしまうのか、想像もつかない。
「あの美しい月のように…決して手の届かない相手だと思っていたんですよ」
イタチの髪を撫でながら、鬼鮫は言った。
「8年もパートナーだったのに、か?」
「それは任務の為でしょう。たとえ不本意であっても、任務であればそれを全うする__アナタは、そういう人でしょう?」
「…忍とはそういうものだろう」
視線を逸らし、ぼやくようにイタチは言った。
鬼鮫はイタチの手を取り、指先に口づけた。
それで昂ぶった気持ちを鎮める積りだったのだが、却って血が騒ぐのを、鬼鮫は覚えた。
指先で軽くイタチの頬に触れ、そのまま首筋へと指を這わせる。
「月の光には人の心を惑わせる魔力があると言いますが…」
アナタの美しさは、人を狂わせる__
耳元で囁くように言って、そのまま耳たぶに口付ける。
首筋に唇を這わせると、イタチの指がぴくりと震えた。
「__止せ…こんな所で」
そう言いながら振り払おうとはしないイタチに、鬼鮫は幽かに笑った。
そしてさっきからずっと口を利かなかったのは、ただ単に疲れていたからでは無いかも知れないと思う。
自分と同じように血が騒ぐのを、イタチも感じているのかも知れない。
そうだとしても、自分からそんな素振りを見せる事は無いが。
「…鬼鮫…?」
不意に抱き上げられて、イタチはやや驚いたように相手の名を呼んだ。
「走りますよ。早く帰りたいのでね」
イタチは何も言わず、ただ鬼鮫の頸に腕を回した。
一人、月を見上げながら、鬼鮫はイタチと共に過ごした夜を思い出していた。
今、イタチの傍らにはサスケがいて、イタチはサスケの子を身ごもっている。
イタチは無事、身二つになったならサスケの記憶操作をして子供と共に木の葉の里に帰す積りでいて、それまで待っていてくれと鬼鮫に頼んだのだ。
無論、イタチへの未練はあるし、まだ失った訳ではないと、信じたい気持ちもある。
サスケへの嫉妬は時に抑えがたく燃え上がり、何故、実の弟なぞを選んだのだとイタチを詰りたい気持ちになる時すらある。
だがイタチと過ごした日々の事を思い出すと、それはまるで幻であるかのように儚い。
イタチの肌の滑らかさも艶やかな髪のしなやかさも、まだはっきりと覚えている。
その身体が熱くなり、甘い声に脳髄が蕩けるような感覚を味わったことも、記憶に生々しい。
それでも、全ては夢のようだ。
美しい月の光に惑わされて見た、愚かしい夢。
イタチを腕に抱いていてもそれが現実だと信じられなかったのは、元より全てが夢だったからなのかも知れない。
視線を地上に転じた鬼鮫は、小さな池に月の姿が映っているのを認めた。
自分の意思ではない何ものかに動かされるように池に歩み寄り、月影を映した水を両手で掬う。
月の姿は手の中で歪み、水が零れ落ちると共に消えた。
手の届くはずの無い月に恋焦がれ、水に映った姿を見て身近にあるのだと思い込んでいただけなのかも知れないと、鬼鮫は思った。
水に手を伸ばしたところで月を得る事は出来ない。
残るのはただ、水の冷たい感触だけ。
鬼鮫はもう一度、月を見上げ、苦く笑った。
そして、いつの日にかサスケも同じ想いをする時が来るのだろうかと、ぼんやり思った。
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