ヘーゼルブラウンの髪が明るい秋の陽射しの中で澄んだ金色を帯びるのを、オラトリオは飽かず眺めた。
同じ色の瞳は琥珀色に透け、宝石のように美しい。大理石の様に白い肌は、平素(いつも)に増してしなやかに見えた。
「……どうかした?」
先程から何も言わずにいる相手に、幾分か不安そうにオラクルは聞いた。
「お前に見蕩れてた」
衒いも無く答えた恋人の言葉に、オラクルの頬が幽かに赤く染まる。
「……良い薫だね」
はぐらかすように、オラクルは言った。二人は、紅茶専門店の前まで来ていた。紅茶の好きなオラクルの為に、オラトリオはこの店を探し出したのだ。
「店の外にいても判るのか?」
「多分……私の嗅覚は他の人より敏感だから」
「犬みてえだな」
「__失礼だな」
言ったオラクルの頬に、オラトリオは宥めるようにそっと触れた__本当に、優しく。
もう一度、オラトリオはオラクルの瞳を見つめた。
秋の陽射しに琥珀色に輝く美しい瞳__けれども、光を映す事は無い。
3歳の時の『事故』が原因で、オラクルは失明していた。
そして、その『事故』が契機となって、オラクルは従兄弟であるオラトリオたちの家で育つ事となった。
『事故』そのものは不幸だったとオラトリオは思っている。そのせいで、オラクルは失明し、母親を喪ったのだから。
けれども__
二律背反(アンヴィヴァレント)な感情を、オラトリオは抱かずにいられない。
世間的に認められない関係だから、人目のあるところでは互いに触れ合う事も難しい。けれどもオラクルの眼が見えないお蔭で、こうしてオラクルがオラトリオの腕に縋って歩いていても、奇異な光景とは見られないのだ。
何より、同じ家で過ごし、多くの時間を共に過ごせた事__それを、オラトリオは僥倖と感じていた。無論、余りに身近であったが故に、想いを告げるのを酷く躊躇ったのだが。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、柔らかそうな金髪とアクア・グリーンの瞳をしたマスターが笑顔で迎えた。
オラトリオはオラクルを連れて来る前に1度、この店に下見に来ていたが、声を聞いてこの美貌の主が男だと知った時にはやや驚いたものだ。
だがその完璧なまでの美貌も、今のオラトリオの目には入らなかった。
椅子を引き、軽く背に手を添えてオラクルを座らせる。白い杖が、倒れないように椅子に立てかけられたのを確かめる。そうしてから、向かいの席に腰を下ろした。
無論、眼が見えないからと言って、そこまでしてやる必要は無い。何よりオラクルは自立心が強いので、恋人同士になる前は、そうやってオラトリオが細々と世話を焼こうとするのをむしろ厭がっていた。
一緒に暮らし始めて半年。
今ではオラクルも以前のような頑なな態度は取らなくなり、素直にオラトリオに甘えてくれる。オラトリオには、それが何より嬉しかった。
「ダージリン、アッサム、アールグレイ、クイン・メアリ……一通りの紅茶は何でも揃ってるぜ」
「アールグレイにしようかな」
メニューを読み上げたオラトリオに、オラクルは言った。
「何か食うか?フィンガー・サンドイッチとかスコーンがあるぜ?」
「本格的なアフタヌーン・ティーって訳だね。でも、私はお腹は空いていない」
「昼間、半分くらいしか食わなかっただろ__『食欲の秋』だってのに」
心配そうなオラトリオの言葉に、オラクルは幽かに表情を曇らせた。
「ごめんね。せっかく作ってくれたのに残したりして」
昼に言ったのと同じ言葉を、オラクルは繰り返した。
オラクルは元々、食が細い。それに、猫のように食欲がむらでもある。それは、子供の頃から一緒に暮らしているオラトリオには判っていた。
けれどもこの数日、オラクルはずっと食欲のない状態が続いていた。それで、オラトリオは心配したのだ。
「そんな事は全然、構わねえんだがな。もしも具合が悪いんだったら……」
言って、オラトリオはオラクルの白い指を軽く撫でた。そうして触れられると安心するのだと、オラクルは言っていた。許されるのなら肩を抱き、髪を撫でてやりたい。が、人目のあるところでは、この程度が限界だ。
「大丈夫だよ。そういう訳じゃ無いから」
奇麗に微笑んで、オラクルは言った。その微笑みに、オラトリオの口元も綻ぶ。
一緒にいると、まるでお前はオラクルの引き立て役だな
不図、姉の言葉を思い出した。不本意では無かったが意外だったので、どういう事なのか聞き返した。
確かにお前の方が人目を引く。だが__と、ラヴェンダーは続けた。
言ってみればお前は太陽でオラクルは月だ__それだけ言えば判ろう?
自分自身に関しては姉の言葉が正しいのかどうかは判らない。が、オラクルを月に喩えたのは言い得ていると思う。
改めて、オラトリオは愛しい恋人を見つめた。
ヘーゼルブラウンの髪と、同じ色の__だが光の加減によって微妙に色合いを変える__瞳。
透けるように白く滑らかな肌。
特に派手やかでは無いが、オラクルの外見から受ける印象は、その人柄を表すようにとても優しい。眼を愉しませるだけでなく、心まで和ませてくれる。
幽かに目を伏せると、長い睫が印象的だ。瞼に残る傷痕は痛々しいが、それすらも愛おしく思える。
抱き寄せて、しなやかな頬と、柔らかな唇に口づけ__そんな空想を、オラトリオは弄んだ。一緒に外出するのは無論、楽しいが、人目を気にして殆ど触れる事も出来ないのはもどかしい。
「……どうかした?」
黙り込んだオラトリオに、もう一度、オラクルは聞いた。
オラクルは眼が見えないのだからこちらの表情は読めない。だから、オラトリオはいつもはその事に気遣っていた。
「悪ぃな。つい、お前に見蕩れちまって」
「……子供の頃から一緒にいるんだから、見慣れてるだろう?それに、私はお前とよく似ているんじゃないのか?」
従兄弟でもある恋人の言葉に、オラクルは少し気恥ずかしそうに言った。
「そりゃ、俺は良い男に決まってるさ。けど、お前の事はずっと見てても見飽きねえぜ」
躊躇いも無く言い切ったオラトリオに、オラクルは幽かに微笑った__秋の陽射しのように穏やかに、そしてとても優しく。
二人で暮らしているマンションに戻るなり、オラトリオはオラクルを抱きしめた。
そして、首筋に軽く口づける。
「…くすぐったいよ」
「外じゃこんな事、出来ねえだろ?一緒に外出するのも楽しいが、本当なら四六時中、こうしていたいぜ」
美しい声で甘く囁かれ、オラクルは相手に身を凭れさせた。
「ねえ…何か謳ってくれないか?」
「ベッドでなら、歓んで」
「__もう、お前は……。こんな昼間から」
「お前があんまり美人で色っぽいのが悪い」
言うなりオラトリオはオラクルを抱き上げた。オラクルは幾分か恥ずかしそうだったが、抗わず身を任せる。
「何が聞きたい?」
ベッドに横たえた恋人に口づけてから、オラトリオは聞いた。
「……アヴェ・マリア」
深く考える事も無く、思い付いた曲名を、オラクルは答えた。
「ありゃ女声の唄だぜ?」
「それでも良いよ。お前が謳ってくれるなら、何でも」
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum, ave Maria,
既に熱くなり始めている身体を何とか宥め、オラトリオは謳った。
benedicta tu, benedicta tu in mulieribus
et bene dictus fructus ventris tui Jesus!
愛撫するような視線を相手の肌の上に這わせながら、オラトリオは謳い続けた。その甘く美しい声に、オラクルはうっとりと聞き入る。
sancta Maria, ora, ora pro nobis,
Amen.
謳い終わると共に服の下に忍び込んできた指に、オラクルは身体の奥が幽かに疼くのを覚えた。
「……こういう唄を謳った後でこういう事をするのは不謹慎じゃないのか?」
「俺の神託(かみ)はお前だからな。お前が赦してくれりゃ、それで良い」
どうする?と問いたげに止まった指の動きに、オラクルは微笑した。そして、幽かに頬を染め、呟いた。
「お前の望みは、私の望みでもあるから……」
「御心のままに」
言って、オラトリオはもう一度、オラクルに唇を重ねた。
Fin.
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コメント
1999の裏キリを踏まれた綾園 理さんに捧げるリク小説です。
「超絶美人のクルさんと包容力のあるトリオ」
包容力って言うより、いちゃついてるだけですねえ;
この話は「美しい5月に」シリーズの外伝に当たります。嘆きの要素の入る「Ave Maria」は、この数ヶ月後に訪れる悲劇を暗示している…という事で(単に他に思い付かなかったって話もありますが;;)
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