長い手足を投げ出し、カカシは大地の上に横たわっていた。
天気は良いのに土は湿っている。
それが自分の身体から流れ出た血のせいだと気づいて、カカシは幽かに笑った。
血だと気づくのが遅れたのは、それがすっかり冷たくなってしまっているからだ。
チャクラ切れで意識も朦朧としている。
だが、起爆札で自爆する程度の力は残っている。
そして、それは今回の任務で何よりも重要な事だった。
土の国と雷の国の間には十年来の戦が続き、両国とも疲弊していた。
その為、何度も和平の試みが為されたのだが、和平に強行に反対する主戦派によってその試みは潰された。
両国に挟まれている火の国は表向き中立の立場を表明していたが、裏では両国それぞれからの依頼に従って忍を戦地に送っていた。
土の国と雷の国、それぞれとの関係を悪化させぬ為の外交上の苦肉の策だったが、その犠牲となって生命を落とした木の葉の忍は少なくない。
カカシに与えられた任務は、最も強行に和平に反対している雷の国の家老を秘密裏に暗殺する事だった。
暗殺に火の国が関わっていると気づかれる事は絶対に避けねばならず、かつ任務の失敗は許されない。
生命を狙われている事に雷の国の家老が気づけば、その護衛はますます厳重なものとなる上に、和平の道が更に遠のくからだ。
家老は手練れの忍を数多く抱え、自らの屋敷を護らせているのみならず、登城の折にも警護の忍を引き連れている。
今までにも何度か暗殺の試みがあったが、いずれも警護の忍の返り討ちにあって失敗している。
家老の暗殺は極めて困難。
生きて逃げ切るのはほぼ不可能だ。
カカシが単独任務を主張したのは、仲間の犠牲を増やしたくない事も理由の一つだったが、単独であるが故の有利さもその一つだった。
家老に雇われている忍たちは統制された一つの組織ではなく、腕に覚えのある者たちの寄せあつめだ。
こちらが単独であれば、たった一つの功を狙って仲間割れが生じる。
それが生きて逃げ延びる唯一つの可能性だと、カカシは綱手を説得した。
だが生きて還る気は、カカシには無かった。
最愛の恋人であるイルカと、かつての教え子であるナルトの関係に気づいた時から、カカシはずっと苦悩してきた。
嫉妬に苦しみ、イルカを恨み、ナルトを呪った。
それでもイルカへの想いは断ち切れず、ナルトを憎みきる事も出来なかった。
ナルトの想いが一時的なものでも単なる感情の暴走でもないこと、そしてそれを判った上でイルカがナルトを受け入れたことに気づいた時、カカシは決意を固めた。
イルカを、自由にする、と。
今回の任務はカカシにとって好機だった。
この任務に成功すれば土と雷二国の争いの犠牲となる多くの者たちを救うことが出来る。
疲弊した両国を救い、両国の間で苦悩する火の国を救うことが出来る。
そして、最愛の者をおぞましい罪悪感から解放してやることが出来るのだ。
起爆札を手にし、カカシはもう一度、笑った。
一番、救われるのは、多分、己自身なのだ。
これで、身を焼くほどの嫉妬と押さえ難い激しい恋慕の情から解き放たれる。
側にいれば愛しさと共に裏切られた憤りを感じずにいられないが、もう二度とかの人には会えないのだと思うと全ての負の感情が消え去り、秋の陽光のように暖かく澄んだ心のみが残る。
かの人とかの人の愛する里を護る為に、自分は最善を尽くしたのだと、気負いなく思える。
そしてかの人が生きて、幸せで、自分を魅了して止まなかったあの笑顔で笑っていてくれれば良いと、心から思える。
ただ願うのは、己の死を知らされた時の、かの人の哀しみが少しでも軽い事だけだ。
起爆札を発動させる為の印を、カカシはゆっくりと組んだ。
「カカシ先生―!!」
聞こえる筈の無い声に、カカシは幽かに眉を顰めた。
もう、左目の視力は残っていない。
大量の血を失った身体は熱を失い、もはや痛みすら感じない。
どうせ幻覚ならば、最愛の者の声を聞きたいとカカシが思った時に、もう一度、確かにかつての教え子の声が彼の名を呼んだ。
「カカシ先生、俺ってば…俺ってば……!」
「……ナルト……?」
「サクラちゃんも一緒だってばよ。絶対に、カカシ先生は死なせないってばよ」
「カカシ先生……」
別の教え子の声がして、熱を失った身体が温かいチャクラに包まれるのを、カカシは感じた。
「……何やってんのよ、お前たち」
家老の屋敷からは離れているとは言え、そして追っての忍たちは悉く斃したとは言え、ここは国境から遠く離れた雷の国の中だ。
交戦地帯からもそう遠くないし、すぐに次の追っ手がかかるだろう。
「…俺の身体をすぐに処理して…逃げろ。この任務……木の葉の里が拘わっていると知られるワケには……」
「喋らないでカカシ先生。今、止血しているから」
必死の思いが滲み出た声で、サクラが言った。
「……綱手のばあちゃんが俺に、カカシ先生の…処理をしろって。木の葉や火の国の関与は絶対に知られてはならない事だからって」
言って、ナルトは拳を強く握り締めた。
「でも俺ってばどうしてもカカシ先生を死なせたくなくて、サクラちゃんを……」
自分の死体処理は暗部の誰かが命じられているのだろうとカカシは考えていたが、その任を命じられたのがナルトだとは思いもしなかった。
だがナルトは五代目火影の信任厚い暗部の分隊長だ。
それを思えば、意外でも何でもないのかも知れない。
「……命令違反だぞ、ナルト……」
「絶対に痕跡を残すな__それが命令だってばよ。だから俺は、カカシ先生を連れて帰る」
それに、と続けたナルトの声が幽かに震えた。
「イルカ先生だって、カカシ先生に死んで欲しくないって思ってるに決まってるってばよ」
ナルトの言葉に、最愛の者の姿がカカシの脳裏に浮かんだ。
静かに死を受け入れようとしていた心が急に乱れる。
任務に出発する前夜、イルカの誕生日を祝って一緒に酒を飲んだ。
その時のイルカの笑顔と、幽かに上気した頬が鮮やかに蘇る。
今生の名残にと愛した肌を思い出し、死にかけている筈の身体が熱く疼く。
許されるのならば、もう一度イルカに会いたい。
会って、抱きしめたい。
だがそんな事をすれば、また嫉妬に苛まされ、イルカを哀しませてしまう日々に逆戻りだ。
「…サクラ、止めろ。これは致命傷だ。これ以上…無駄なチャクラを__」
「『俺の大切な仲間は絶対に死なせない』ってカカシ先生いつも言ってたでしょう?私だって、大切な仲間を死なせたくない…!」
「カカシ先生。一緒に…イルカ先生のところに帰ろうってばよ」
手を差し伸べ、静かにナルトは言った。
その姿に、イルカの面影がダブる。
共に笑い、全てを分かち合った日々を思い出す。
カカシさん…
自分の名を呼ぶ懐かしい声が、耳の奥に木霊する。
「……馬鹿だね、オマエ……」
思い切れてなどいなかった。思い切ることなど出来なかったのだと、カカシは改めて実感した。
今はただイルカに会いたい。
浅ましいほどに、それだけを望んでいる。
そんな自分を哂い、カカシはゆっくりと目を閉じた。
「……カカシ先生……?」
「大丈夫。気を失っているだけよ。一命は取り留めたわ」
サクラの言葉に、ナルトは安堵の笑みを浮かべた。
後は一刻も早くこの場を離れ、木の葉に帰らなければならない。
「サクラちゃん。有難うってばよ。それに、無理を言ってごめん」
「ナルト。あんた……」
本当にこれで良いの?__咽喉まで出掛かった言葉を、サクラは噛み殺した。
これから3人がどうなっていくのか、それは3人が決めることだ。
ただ願わくば、3人とも幸せになって欲しい。
それは、叶わぬ望みなのかも知れないけれど。
「さあ、帰るってばよ!」
「うん…!」
カカシ、サクラと共に、ナルトは帰路を急いだ。
その後、どんな運命が待ち受けているのか、その時のナルトは知る由もなかった。
後書きのようなモノ
到底間に合わないと思ってたのに前日になって急に書きたくなって書いてしまったカカミンお誕生日お祝話。
イル誕お祝話の続編ですが、これで終わらず更に続きます。
蛇足な補足説明をしておくと、ナルトがカカシの『処理』を命じられたのは、カカシが雷の国に潜入後の事です。
さもないとナルトが命令違反を犯してカカシを助けようとし、任務そのものが失敗してしまうと、綱手は見越していたのですね。
次はナル誕の予定です。
BISMARC
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