腰と肩をタオルで覆っただけの姿で、オラトリオはベッドの端に腰を降ろした。シャワーの雫がシーツを濡らすのを気にかけもせず、煙草に火をつける。それから、濡れた前髪を無造作にかき上げた。
「…あの夜も、あなたはそうしていましたね」
ゆったりとアームチェアに座ったまま、クォータは言った。
 家具らしい家具が殆ど無いせいで実際より広く感じられる部屋には、フローティングキャンドルの仄かな明かりがあるだけだ。その位置のせいで、オラトリオからはクォータの姿は殆ど見えない。が、ブルーグレーの瞳が冷ややかな熱をもって自分の身体を舐め尽くしているのを、オラトリオは感じた。

 家族に碌に連絡もせず家を出てから2ヶ月。或いは3ヶ月かそれ以上が経っているかも知れない。時間の感覚が麻痺している。時間以外の、全ての感覚も。

「オラトリオ」
不意に、クォータの口調が厳しくなった。乱暴にオラトリオの腕を掴む。
「何しやがる」
「ドラッグには手を出すなと忠告しておいた筈ですよ」
蝋燭の僅かな光に、注射の跡が照らされる。オラトリオはクォータの手を振り払った。
「ちょっと客に付き合っただけだろ」
「ドラッグや売人には絶対に関わるなと言っておいた筈です」
オラトリオは相手を見上げ、微かに嗤った。答える代わりに紫煙を吐く。
「あなたのせいで面倒に巻き込まれたくはありませんからね。それに__」
言って、クォータはオラトリオの頬に触れた。
「商品価値を損ねたく無いですし」

 クォータは、オラトリオが突然、現れた日の事を思い出した。ひどくやつれて、手負いの獣の様な眼をしていた。その姿に、背筋が震えたのを覚えている。
 クォータの部屋に転がり込んで来てからは、文字通り自棄的な生活だった。煙草と酒の他に殆ど何も口にせず、クォータが引き合わせる客を取った。今では少しはましになったと言うものの、退廃した生活である事に変わりは無い。
 それは、クォータ自身も同じだが。

「何で俺がそんな事を気にしなきゃならねえんだ?」
ベッドから立ち上がると、オラトリオはキッチンに入った。グラスに氷を入れ、ウイスキーを注ぐ。
「あなたが私の部屋に住んで、私の酒を飲んでいるからですよ」
「それがどうした」
言って、オラトリオはウォーターフォードのグラスを傾けた。
「それに、部屋代くらいはピンはねしてる筈だ」
「仲介料ですよ」
悪びれもせず、クォータは言い返した。オラトリオは何も言わなかった。クォータの『忠告』に従う気も、逆らう気も無かった。

全てが、どうでも良かった。
薬に溺れて野垂れ死にしようがどうしようが。

「とも角、面倒は起こさないで下さいよ」
「だったら俺を追い出しゃ良いだろ。でなけりゃお前が出て行くか」
言ってグラスを傾けたオラトリオの横顔を、クォータは黙ったまま見つめた。生(き)のウイスキーが嚥下されると共に喉仏が上下する。不摂生な生活はオラトリオの整った容貌に翳を落とし、深い紫の瞳は蝋燭の灯りを映して暗く輝く。
「…あなたに飽きたらいつでもそうしますよ__オラクルが、あなたを棄てた様に」
クォータの言葉に、オラトリオの脳裏には数ヶ月前の光景が蘇った。オラクルがエモーションと一緒に食事に来ていたのを偶然、見かけた時の光景が。
 オラクルは幸せそうだった__信じられない程
 何もかもが、オラトリオには信じられなかった。オラクルの心変わりも、オラクルの言葉も。

判らないだろう、お前には。判る筈も無い

 あれほど愛し、愛されていると信じていたのに、オラクルの本当の気持ちに気付きもしなかったのだ。従兄弟としても恋人としても、数え切れない程の思い出と、計り知れない程の時間を共有した__筈だった。

それも、今ではどうでも良い事だが。

 2本目の煙草に火を点け、2杯目のウイスキーを注ぐ。クォータが何か言っているようだが、聞く気は無かった。
「…聞いているんですか、オラトリオ」
「…嫌」
「何を…考えているのです?」
オラトリオの背後から歩み寄り、囁くようにクォータは言った。タオルを取り去り、肩の線を指先でなぞる。
「__何も」
クォータは微かにほくそ笑むと、オラトリオから煙草を取り上げた。それからオラトリオの頬に触れて引き寄せ、口づけた。





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