電脳空間での秘め事




『ご利用、有難うございました』
インターフェースプログラムの姿がフェイド・アウトするのを見届けてから、オラトリオはホールのソファに視線を転じた。
かなりゆったりした大きさのソファの上では、この空間の管理者が眠りを貪っている。
そのオラクルに代わって、オラトリオは<ORACLE>の通常業務をこなしていた。
プライヴェート・エリアに運んでベッドに寝かせてやっても良いのだが、寝顔を見ていたくて敢えてソファに寝かせてある。

『識別番号826A 817E 826Eよりアクセス』
オラトリオがソファに歩み寄ろうとした時、フロント・エンド・プログラムが特別なユーザーからのアクセスを知らせた。
「カルマか」
『おや。今日はあなたですか、オラトリオ』
「ああ……。オラクルの具合がちょっと良くないもんで、休ませてる」
それは心配ですね__幽かに柳眉を曇らせて、A-NUMBERS統括者は言った。二言三言、オラトリオと雑談を交わし、それから用件に入る。
オラトリオの予想通り、カルマの用事は正信の代理だった。幾つかの特殊なデータを探してあちこち検索したのだが見つからず、こうして<ORACLE>に問い合わせて来たのだった。

「…そのデータはあるにはあるが」
オラトリオはデータの機密レベルと正信、カルマのアクセス権限を改めてチェックした。
「コピーも持ち出しも禁止だ。<ORACLE>の監視下で一部情報の閲覧のみなら認められるが__」
『それでは、今からそちらにお伺いいたします』
仮想ディスプレイに向かって手を上げ、オラトリオは相手を制した。
「今は駄目だ。データのどの部分をどんな形で閲覧させるか、俺の一存では決められない」
『事情は判りますが…こちらはとても急いでいるのです』
明後日までに提出しなければならない論文に必要で、正信はその為にこの1週間ほど殆ど寝ていないのだと、カルマは付け加えた。
オラトリオはソファを見遣った。
オラトリオのコートの下で、オラクルが幽かに身じろぐ。
「オラクルが眼を覚ましたら折り返し、こっちから連絡するぜ」
『…起こして頂く訳には行かないのですか?』
オラトリオはもう一度、ソファに視線を走らせ、それからディスプレイに向き直った。
「そんなに待たせはしないぜ。それに、閲覧を許可する事自体が特別なんだ。普通ならこの手の機密データは、閲覧許可が下りるまでに申請後2,3日はかかる」
『__判りました。そちらからの折り返しの連絡をお待ちしますよ』
カルマは尚も何か言いたげだったが、渋々と待つことに同意した。
「ああ。悪く思わねぇでくれ」
『オラトリオ?』
改めて名を呼ばれ、オラトリオは相手を見た。
『程ほどにしておいて下さいね』
意味ありげな微笑を残し、A-NUMBERS統括者は通信を切った。

「……ったく」
口の中で小さくぼやいてから、オラトリオはソファに歩み寄った。
雑色の前髪をそっとかき上げると、オラクルがもう一度、身じろぐ。
それから、うっすらと眼を開けた。
「おはよ」
「__寝ちゃってたんだ…」
オラクルがソファの上に半身を起こすと、華奢な肩と腕が露になった。その透けるように白い肌に誘われるまま抱き寄せ、軽く口づける。

戯れるように、触れるだけの口づけを繰り返す。
白い頬に。ほっそりした顎に。華奢な首筋に。
オラクルの肌は滑らかでとてもしなやかだ。

「…これで『程ほどに』しろなんて言われてもな…」
「何か言った?」
言って、オラクルはオラトリオの腕から逃れ出た。
「何でもございません__それより、なあ……」
「駄目だよ、これ以上は。さっきだって、駄目だって言ったのに」
少し怒ったように言うオラクルに、オラトリオは大仰に肩を竦めて見せた。そして、オラクルが服を再構築し、白い肌が司書のローブに隠されてゆくのを見つめる。
「仕事は俺がちゃんと代わりにやっといたぜ?」
「当然だろう__お前のせいなんだから」
そう言ったオラクルが幽かに頬を赤らめる姿を見て、一度は鎮まった熱が再び身体の奥に湧き上がるのを、オラトリオは感じた。

「カルマからアクセスがあったみたいだな」
ログをチェックし、オラクルは言った。
「あ…あ。正信の遣いでな。機密データの閲覧を要求している」
何とか湧き上がりかけた情動を抑えて、オラトリオは言った。
これでカルマを待たせたりしたら、後で何を言われるか判らない。自分は何を言われようと構わないが、矛先がオラクルに向くのは避けたい。
「どのデータ?それに用途は?」
「データID:94 E9 82 DF 8E 96。折り返しこっちから連絡すると言ってあるから、詳細は確認してくれ」
「判った」
『仕事の顔』に戻った恋人の横顔を見つめながら、オラトリオは密かに余韻を愉しんだ。
オラクルが知れば怒るだろうが、気づかせる積りは無い。

カルマの用件が片付いて、その後、込み入った要求のアクセスが入らなければ……

密かな企みにほくそえみながら、オラトリオは仕事に戻った。





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