(5)

翌日の朝早く、俺は里外任務に出た。予定では2日後の出立の筈だったが、作戦の都合でそれが早まったのだ。
俺にとっては好都合だった。里を離れ、戻ってくるのは10日後だ。
そして10日後、イルカ先生のいない時間帯であることを確認して、俺は報告書を提出しに行った。
「はたけ上忍……」
受付所の中忍は、何か言いたげに俺の顔を見た。イルカ先生の同僚で、一緒に受付に座っている姿を何度か見たことがある。
重苦しい気持ちになりながら、俺は「何?」と短く訊いた。
「あの…イルカの事、何かご存知じゃありませんか?はたけ上忍にこんな事をお聞きするのはおこがましいと思いますが、10日前からずっと無断欠勤で__」
冷水を浴びせられたように、背筋が総毛立つのを俺は感じた。
後も振り返らず、俺はそのまま受付所を飛び出した。

イルカ先生の部屋の前まで来ると、俺の脚はぴたりと止まった。
ドアを開けて、見たくないものを見てしまう事を恐れたのだ。だが、躊躇ってなどいられなかった。
最悪の事態になっていない事を祈りながら、俺は合鍵でドアを開けた。
驚いたことに、部屋には結界が張ってあった。
それも禁術を使って強化してある。
これではイルカ先生の同僚が心配して訪ねて来たとしても入れなかっただろう。
禁術を得意としていた黒鷺を思い出しながら、俺は結界を破り、部屋に入った。
部屋にイルカ先生の姿は無かった。
が、結界が張ってあったのだからイルカ先生はここにいる筈だ。
俺は慎重にイルカ先生の気配を探った。
「動くな」
咽喉元にクナイを突きつけられ、俺は背後を取られたのを知った。
「お前は何者だ?ここに何しに来た」
問う口調は冷たかったが、声は紛れも無くイルカ先生のものだ。
「…俺ですよ、イルカ先生」
「何で俺の名前を知ってる?」
一瞬の隙を突いて、俺は相手の腕を振り払った。そのまま素早く移動し、イルカ先生と向き合う位置に立つ。
イルカ先生は、始めて見る相手を見るように、俺を見ていた。
警戒心と不安、それにピリピリした緊張が感じられる。
まるで、12年前に戻ったかのようだ。

俺は、自分が何をしてしまったのか悟った。
そして、それが取り返しのつかない事だという事も。

俺は額宛を外した。そして、イルカ先生の顔に笑顔が広がるのを見た。
「オビト兄ちゃん…!」
俺はイルカ先生の笑顔が好きだった。
だがこの時ほど、イルカ先生の笑顔を見て辛く思った事は、後にも先にも無かった。






イルカ先生は医療忍の診察を受け、綱手さまにも直々に診て貰った。
結論は予想通りだった。
重篤な精神的ショックによる記憶障害と現実認識能力の欠如。
治癒の見込み、不明。
俺は持ち帰っていた自分の荷物を再びイルカ先生のアパートに持ち込み、『オビト』としてイルカ先生の面倒をみることになった。
イルカ先生がこうなってしまった原因と責任が俺にあるのは明らかなのだから。
そうして一緒に暮らすようになってから、俺はあの人の事を恋人だった頃よりずっと良く知るようになった__皮肉な話だが。
イルカ先生のオビトに対する信頼は、俺が思っていたよりも遥かに強く、深いものだった。
確かにそれは恋愛感情とは別物かも知れない。だが、単なる『少年にありがちな憧れ』程度のものでは決して無かった。
あの人は『オビト』に対しては、何でも話してくれた。
確かに機密に拘わる事は曖昧にぼかしてだが、両親の死後に知らされた遺言の事まで、『オビト』には話した。

俺は初め、イルカ先生の記憶が両親の生きていた頃まで戻らなかったのを不思議に思っていた。一番、幸せだった頃に戻り、そのあとの悲劇全てを忘れてしまえば、その方がずっと楽な筈だからだ。
だがイルカ先生はそれ程、弱くは無かった。
いつか両親を喪う日が来る事は、覚悟していた。嫌、覚悟はまだ出来ていなかったかも知れないが、その必要がある事は理解していた。
イルカ先生がショックを受けたのは、両親の死よりも、両親の跡を継いで『裏暗部』となる事を、二人の遺言で否定された事だった。
『裏暗部』となるには、イルカ先生は純粋すぎた。だから両親は、『裏』の掟に背いてでも我が子を護ろうとしたのだ。
だが、突然、両親を一度に喪った上に、その跡を継ぐ事を否定されたせいで、イルカ先生は自分の存在を両親から拒絶され、見棄てられた様に感じたのだろう。

イルカ先生の記憶は暗部入隊より前に戻ってしまったから、両親の遺言で否定されたにも拘わらずあの人が暗部に入った理由は俺には判らない。
ただ、九尾事件の後、「アカデミーで馬鹿やってた」頃があるとあの人が話すのを聞いた事はある。
恐らくそれを見兼ねた三代目が試験的に暗部入隊を許可したのだろう。
あの頃のあの人に取って、『裏暗部』となる事は、両親に受け入れられる事と同義だった。
だから黒鷺はあれほど暗部にい続ける事に拘り、三代目に結局それを否定された時に涙したのだ。
暗部にいた事情を俺に打ち明けようとしなかったのも、それが里の機密に拘わる事だから話さなかったと言うよりは、その事が両親に『拒絶』されたイメージと結びつき、辛かったから話せなかったのに違いない。
俺は無神経にもその事に気づかず、暗部を辞めてアカデミー教師となった方がイルカ先生には相応しく、その方が幸せだと、単純に思い込んでいた。
俺はあの人の表面の光に惹かれる余り、内面の闇の深さに気づけなかった。
嫌、気づいていながら、その闇に正面から向き合おうとはしなかったのだ。





「オビトの奴もさぁ、俺が思ってたよりずっと賢かったってワケ。策士だったんだよね」
『オビト』としてイルカ先生と一緒に暮らし始めて3ヶ月後、俺はアスマの家で酒に酔っていた。それまでもアスマやガイは何度か誘ってくれていたが、俺は酔って愚痴をこぼすのが厭で断っていた。
「策士たぁ、どういう事だ」
俺と同じくらいの量をこなしながら少しも乱れずに、アスマが訊いた。
「あいつはネ、自分に何かあったら写輪眼が誰かに移植されるって知ってたんだ。だから『姿が変わっても帰ってくる』ってあの人に約束した。いつ死ぬか判らない忍が、必ず帰れるワケないデショ?」

でも、奴の写輪眼は別。
ちゃあんとこうして帰って来た。

「…成る程な」
短く、アスマは言った。
「だからイルカはお前の写輪眼を見て、オビトが『帰って来た』のだと思った」
「俺さぁ、オビトの骨髄も移植されてんの。だからDNAはオビトの。でなきゃ、うちはでも何でもない俺に写輪眼が使えるハズ無いし。だから俺は……」
俺は冷酒を満たしたコップを両手に抱え、中を覗くようにして続けた。
「だから俺はぁ、オビトの写輪眼を生かし続ける為の器。ただの入・れ・も・の」
「……忍ってのは、皆、道具だろ」
「そ。俺もアスマも紅もガイも、みーんなただの道具」
「…里に取っては、な」
アスマは言って俺から冷酒のコップを取り上げた。
「何すんだよ、髭」
「もう、飲みすぎだ。ほら、茶」

俺は眼の前に置かれた湯気の立つ湯飲みをぼんやり見つめた。
僅かに残った理性はそろそろ帰らなければならないと呟いているが、感情がそれを拒む。
オビトは俺と違って真面目な奴だった。
こんな風にみっともなく酔っ払った姿で、イルカ先生の元には帰れない。

「だがよ。俺は思うんだが……イルカは、心底お前に惚れてたんだろうな」
「…はあ?何言ってんのさ、熊。あの人は俺の__オビトの写輪眼しか見てないんだヨ?あの人が好きなのも信頼してんのもオビト。俺じゃ、無い」
それに、と俺は続けた。
「俺と付き合うようになったのだって、俺が好きですって言ったのをオビトからの言葉だと思ったから。幻術かけて聞き出したんだから間違いないよ」
「だったら、イルカは何でお前を憎まない?」
俺は顔を上げ、改めてアスマを見た。
「イルカはああ見えて結構、キツイところもあるからな。お前をただの器としてしか見ていなかったんなら、オビトを死なせたお前を憎んだ筈じゃ無いのか?」
「……憎む代わりに、俺の事は綺麗さっぱり忘れた」
「お前に心底、惚れてたからこそ、そのお前が誰よりも信頼していたオビトを殺したって事実が受け入れられなかったんじゃ無いのか?子供返りしちまう程ショックを受けたのも、お前に惚れてたからこそじゃないのか?」

俺は、何も言えなかった。
ただ、自分の愚かしさを呪った。
俺はあの人が暗部にいた事情を話してくれなかった事や、オビトとの関係を隠していた事に拘って、もっと大切なものを見落としていた。
俺は誰よりもあの人を愛している。それなのに、下らない嫉妬に気を取られてあの人を信じることが出来なかった。
俺はただ、あの人を信じれば良かったのだ。
そうすれば、こんな悲劇は起きなかった。
ただ、信じさえしていれば。

「…ちょっと、便所」
言って、アスマは席を立った。
俺はアスマの心遣いに感謝し、独りで思い切り、泣いた。





俺がアパートに戻ったのは真夜中を大分、過ぎた頃だったけど、イルカ先生はまだ起きていた。
「お帰り、オビト兄ちゃん」
「先に寝てろって言ったのに」
「うん…だけど……」
言葉を濁し、イルカ先生は不安げに表情を曇らせた。
この状態になってからのイルカ先生は、情緒不安定になる事が多い。両親を喪い、その跡を継いで『裏暗部』となる事も否定され、希望を失っていた頃の記憶に戻っているからだ。
けれども、イルカ先生は全ての望みを失った訳では無かった。
必ず帰って来るというオビトの約束__それが、あの頃のイルカ先生に残された唯一の希望だった。
もう少し長くオビトが生きていれば、イルカ先生は両親に『拒絶』された痛みを克服し、心の闇に孤独な少年を住まわせる事も無かっただろう。
それを思うと、悔やんでも悔やみきれない。
だが、今更うじうじと後悔しても始まらない。
「…不安だった?俺が、帰って来ないかも知れないって?」
「そんな事、無いよ。俺、オビトを信じてるから」
まっすぐに俺の__俺とオビトの__写輪眼を見て、イルカ先生は言った。
俺は、イルカ先生を抱きしめた。
「信じていて…俺を…信じてて……」

いつか俺が死んだ時、俺たちの写輪眼はまだ使い物になるのだろうか?
それとももう、誰にも移殖される事無く、俺と共に朽ち果てるのだろうか?
それでも俺は、『必ず帰って来る』と誓い続ける。
信じられないよりは、信じるほうがずっとマシだ__喩えそれが、いつか破られる約束であろうとも。

「信じてるよ、オビト兄ちゃん」
残酷なまでの純粋さで、躊躇いも無くイルカ先生は言った。






Fin.



後書のような物
原作のカカシ外伝で話が進む前に…と速攻でUPしました;
まあ、原作でどんな過去が語られようが、所詮うちは設定捏造サイトですが(笑)
この5年後くらいにカカシが死んで、改心して里に戻っていたサスケがイルカさんの世話を引き継いだりすると怖いですねえ。嫌、オイシイか。イタチでも良いかも(←節操無し;)
いずれにしろ、『オビト兄ちゃん』でいる為には据え膳に指一本、触れられないってところが辛いですねぃ。

BISMARC




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