著・前田みや
雑記帳


逆位置
〜マイスウィートエンジェ ル♪〜



 研究者専用アッパーネット<クオンタム>。広すぎるネットで迷わないものはいない。なので当然、ユーザーフレンドリーな統御管理パーソナルが常駐している。
 が。
 全然ユーザーフレンドリーではないのだった。

「あ、<クオンタム>? この資料を探しているんだが………」
「………それくらい自分で探せばいいだろう」
「で、でも時間がなくって……」
「ふ、これだから人間は……(延々人を小馬鹿にした説教が続く)……ほら、これだろう、さっさと持っていけ」

 なんて対応された日にゃ、次から<クオンタム>を使いたくなくなってしまう。パーソナルを変えようにも時間がかかる。パーソナル・クエーサーは無愛想で、人を馬鹿にしながらも一応仕事はこなしているんだから良しとするべきか? 人間たちの会議は連日深夜まで続いた。
 その日までは。

「あの? <クオンタム>?」
 おずおずとアクセスしてきた存在に珍しくクエーサーが眼を見張った。年の頃、15、6だろうか。いくらなんでも研究者専用ネットにアクセスするには幼すぎる。だが、アクセスナンバーもあっているし、さっとそのナンバーを照合したところ、その持主は幼い頼りなげな雰囲気でも、20歳だとのこと。音井正信を上回る天才と噂に高い、オラクル・カシオペアだった。
「はじめまして」
 ふわっと微笑う。その笑顔にクエーサーは毒舌を言う機会を逃した。
「この資料を探しているんだけれど、お願いしてもいいだろうか?」
 優しげな口調にはいつものように『自分で勝手に探せ』なんて冷たいことはいえない気がする。
「あ…あ、これか?」
 文句も言わずに差し出すと、オラクルは本当に嬉しそうに笑った。
「ありがとう。やっぱりすごいね、<クオンタム>は。ああ、違った。<クオンタム>はネットの名前だから……」
「クエーサーだ」
 クエーサーが名乗るとオラクルは画面の向うで頭を下げた。
「私はオラクル。これからもお世話になると思うけどよろしくね」
 微笑む顔を見れば、これが『天使』というものなのだろうかと柄にもなく思えてしまう。
「じゃあね、クエーサー」
 オラクルからのアクセスが切れた後も、クエーサーはぼんやりとウィンドウを眺めていた。


「すごいねー、クエーサーは」
 オラクルはアクセスするたびにクエーサーといろいろ話していく。
「正信さんでもそんなにはいろんなこと知らないよ。あ、正信さんってのはね、ドクター・音井っていって、おばあさまがお忙しいから私は正信さんの家にお世話になっているんだ」
 説明しながらオラクルは小首をかしげる。
「どうした?」
 オラクルの口から自分以外の者の名が出て来てなぜかむっとしていたクエーサーが尋ねた。
「あのね、だってクエーサーは正信さんよりすごいんだから……。正信さんはドクターだろう? だからクエーサーのことだって、ドクターって言ってもいいよね?」
 変なことに拘るところがまだ幼い。クエーサーはくくっと笑った。笑う。自分でも驚く。人を馬鹿にした笑み以外に笑うなんて初めてのことだ。
「お前が望むなら。私は別にどう呼ばれようとかまわん」
 言うとオラクルは喜びながらも哀しそうな顔をした。
「じゃあ、これからドクターって呼ぶけど……でもどう呼ばれてもかまわないなんて悲しいこと………」
 そりゃあ、ドクターは閉じ込められているし、外に出られないし……。クエーサーはその事実よりも、心配するオラクルの哀しそうな表情に胸がずきりとした。
「………私はこれでかまわない」
 言ってみてもオラクルの顔は晴れなかった。



「ドクター、こんにちは」
 晴れやかな顔で<クオンタム>に入って来たオラクルにクエーサーは驚いた。
「オラクル? どうして……?」
「あのね、人間だって電脳空間に入ることができるんだよ。正信さんに教えてもらったんだ」
 これでドクター、少しは寂しくなくなるだろう? 別に寂しくも何もなかったのだが、クエーサーは曖昧に頷いた。確かにオラクルと喋るようになってから、彼がアクセスしてくるのを心待ちにしている。アクセスがないとつまらない。これを『寂しい』というのだろう。
 微笑んでいるオラクルは画面で顔だけ見ているよりずっと儚げだった。今にも融けていきそうな雰囲気に不安を感じる。
「どうしたの?」
「いや………」
 どうして私が人間ごときに不安なぞ……。思っていた時にそれはやってきた。
「な………!?」
 ウィルス! <クオンタム>防御壁では防げれなかったウィルスが侵入してくる。
「オラクル、大丈夫か?」
 庇おうとする間もなく、オラクルからフワッと巻き起こった暖かい物がウィルスを次々に無害化していく。さすが、そこらへんは正信の愛弟子だった。
「私は大丈夫。ドクターこそ……」
 だが、ウィルスに続き現れたのはハッカーだった。ウィルス相手にならどうにでもなるオラクルも、ハッカーには対処の仕様がない。
『○×でーたヲヨコセ』
 人型も取れず、不気味に要求するハッカーにクエーサーはほいっとデータを投げ与えた。どうせデータのコピーだし、抗ってシステムに傷でもついたほうが嫌なのだ。なので、ハッカーが来るたびにほいほいとデータを渡しているクエーサーだった。
「ドクター……」
 心配そうなオラクルの声に、ここにいるのが自分だけでないと思い出す。これは……まずいんじゃないだろうか。とっさにクエーサーは気弱げなふうを取り作った。なにせ、見た目は美青年。憂いを浮べた表情も似合う。
「私は……ハッカーが怖い。データさえ渡してしまえば、すぐ出て行ってくれるから…。やはりこんな風では管理統御者失格なのだろうな……」
 わざとらしくふるふると震えて見せると、オラクルは首を振った。
「そんなこと……。ごめんね、気がつかなくて。ドクターはずっと怖いの我慢していたんだよね」
 素直に騙されてくれる。罪悪感がクエーサーの胸に込み上げた。
「オラクル、本当は違う。私は……」
 慌てて告白しようとしても、オラクルは優しく微笑むだけだ。
「いいんだ。無理しなくたって。本当に今まで気がつかなくてごめんね………」
 だ、騙してしまった………。オラクルの帰った後の<クオンタム>でクエーサーはどよーーんと落ち込んだ。



 オラクルの電脳空間行きはすぐにばれた。人間の身体での電脳空間侵入は非常に技術がいる。優秀な人材が集まるアトランダム内でもできるのは音井正信ただ一人。それも身体に負担がかかるからどうしてもの時にしかやらない。
 そんなことを無菌状態の病室から出ることも出来ない身体のオラクルがやったのだ。しかもあの時一度だけではなく、何度も。その度ごとに熱を出し、床に伏せるオラクルに周囲が気づくのは時間の問題だった。
「オラクル………」
 祖母であるアトランダム総帥・カシオペア博士はため息をついた。
「無理をしないでちょうだいと何度言ったらわかってくれるの?」
「だって……」
 オラクルは布団の中にもぐって顔を隠そうとした。
「だって、ドクターはウィルスやハッカーから身を守ることもできないんだ。だからせめてウィルスだけでもって…思って……」
「ドクター?」
 カシオペア博士の問いかけにオラクルはちょこっと顔を出して嬉しそうに笑った。
「<クオンタム>のクエーサー。正信さんよりいっぱいいっぱいいろんなこと知ってるんだ。だから、ドクターって呼んでもいいか聞いたらいいって」
 いつもいろいろおしゃべりしてくれるんだよ。にこにこにこ。無邪気に笑うオラクルは普段のユーザーフレンドリー失格のクエーサーの姿を知らない。
 カシオペア博士もオラクルの前だけは優しく笑う妖怪管理人もしくは小言爺(研究者の間ではクエーサーはこう呼ばれていた)の姿を知らない。そのイメージのギャップに頭が痛くなる。自分の知っている『クエーサー』はウィルスやハッカーごときに脅える玉ではない。
「そ、それはあなたが元気になったら話し合いましょう。だから、しっかり身体を休めて……」
 言いながら、オラクルがこれ以上無茶をしないように<クオンタム>の守護者製作を考えねば、そう思うカシオペア博士だった。



「<クオンタム>」
 カシオペア博士は少し元気になったオラクルの研究室で<クオンタム>にアクセスしていた。周りには数人のやはり<クオンタム>担当の研究者がいる。
「なにか用か」
 カシオペア博士のアクセスとあって、いつものように仏頂面をして現れたクエーサーはその場にオラクルの姿を認めて態度を豹変させた。
「オラクル! 近頃アクセスしてこないから心配していたんだぞ。どうかしたのか?」
 ご丁寧に優しげな笑みまで浮かべている。
 『<クオンタム>が壊れたか、自分が狂ったかと思いました』とは、同席していた研究者の弁。
「ドクター、ごめんね。寂しかった?」
「それよりもおまえのことが心配だった」
 だいたいどうしたのだ? 今日はお前だけではないんだな。笑いながらもその表情のなかには自分とオラクルの幸せホットラインを邪魔するその他大勢に対する殺気が浮かんでいる。勿論オラクルが気づいているわけはないが。
「おばあさまも、他の人達もドクターのこと心配しているんだ。その…ハッカーやウィルスのこと。だから……」
 オラクルの言葉をカシオペア博士が遮った。
「これ以上は駄目よ、オラクル。また熱を出してしまうわ。守護者の件はその…『ドクター』とちゃんとお話するから、貴方は寝てちょうだい。いいわね?」
 目的はオラクルとちゃんと『ユーザーフレンドリー』するクエーサーの様子を見るだけのことだったのだから、これでよし。ニコニコ笑うクエーサーに青ざめたり、吐き気を堪えたりしている研究者たちを引き連れカシオペア博士はオラクルの『研究室』という名の病室を引払った。


「さて」
 改めて<クオンタム>にアクセスしたカシオペア博士は意味ありげに笑った。ディスプレイの中には毎度仏頂面のクエーサー。
「あら、いいのかしら。私はオラクルの祖母なのよ。オラクルに普段のあなたがどういう態度なのか言っちゃおうかしら」
 オラクル、幻滅するでしょうね。いいえ、それよりあなたのことを心配してまた倒れてしまうわね…。ふっと物憂げにため息。心理学者の巧みな作戦にクエーサーはひきつった笑みを浮かべた。
「や、やっぱり怖い……」
「仏頂面のがましですー」
 同席の研究者たちの悲鳴に、面白いからもっと笑ってやれとクエーサーが心ひそかに思い、後々も実行したのはともかくとして。
 オラクルの名さえ出せば『ユーザーフレンドリー』は有効化するということが判明し、クエーサーのパーソナルを作り直さなくてすむことになった人間たちはめでたしめでたし。
 後は、守護者問題なのだった。
「いらん」
 一応は笑顔を保ちつつ、クエーサーは一刀両断した。
「私が困った時にはオラクルが来てくれる。私の天使が……」
 うっとり。これは本気の表情で言うものだからカシオペア博士さえ逃げたくなった。
「………たとえオラクルが行かなくてもあなたが困ってないのは知っているけど、そういうわけにはいかないのよ。オラクルはあなたを心配して電脳空間に入るたびに熱を出して寝込むんだから」
 だから決定です。守護者を作らなくてはオラクルが安心して療養できないんですからね。精一杯威厳を保ってカシオペア博士は言った。我が孫ながら、なんてものを懐かせてしまったんだろう。ちょっと泣きたい。
「守護者というからには<クオンタム>の中にも入ってくるのだろう。見苦しい物は見たくない」
「なら、守護者の顔はあなたの顔をモデルにしましょう」
 カシオペア博士の提案にクエーサーはちょっと考えた。自分のこのかっこいい顔ならもう一つあっても別にかまわないが……、
「どうせなら、オラクルの顔のほうが……」
 見てて嬉しい。思わず言ってしまった。
「わかったわ、これで決定ね。文句ないわね」
 言質を取ったカシオペア博士は即座にアクセス解除。顔はともかく守護者は要らないとクエーサーが再びの文句をつける隙もなかった。さすが、ロボット心理学者なのだった。



 でもって出来上がった守護者の<クオンタム>訪問に、
「似てない……」
 顔が同じでも性格違えばこうも別物になるものなのか。新たな発見と共に、クエーサーはクオータの存在を無用な邪魔者として片付けたのだった。





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