「奇麗だね……」
軽い溜息と共に、うっとりとオラクルは言った。
<ORACLE>の内部は照明が落とされ、静かな闇に包まれている。そしてその広間いっぱいに展開されているのは櫻のCG。ところどころに風流に篝火が焚かれ、ほのかに櫻を照らしている。
「丹精して育てたからな」
杯を傾け、機嫌良く、コードは言った。普段ならば他者(ひと)の誉め言葉を空世辞と切り捨てる偏屈者も、見栄も建前も知らぬ無垢な『賢者』の心からの賞賛は、素直に受ける。
もう一度、オラクルは夜櫻を見上げた。
オラトリオはアメリカに監査出張で不在。その留守を頼まれて来たコードの手土産を、こうして二人で楽しんでいるところだ。
時折、木のはぜる音がするだけの、穏やかな静寂。
口当たりの良い冷酒がもたらす仄かな酔い。
夜闇を彩る櫻のあでやかさ……

良い夜だと、コードは内心で独りごちた。
いつもなら電脳の隠れ家で一人で過ごす。丹精した櫻を愛でるのも一人なら、酒を飲むのも一人。
別に、それが不満だという訳ではない。どころか孤独を楽しんでいる。
けれども、限られた空間しか知らず、それゆえ子供のように純真なオラクルが喜ぶ姿を見るのもまた心地良い。
「本当に奇麗だ。何だか…奇麗すぎて怖いくらいに」
オラクルの言葉に、コードは軽く苦笑した。
「櫻の木の根本には死体が埋まっているという言い伝えもあるからな」
「死体?」
幽かに眉を顰め、オラクルは言った。それから、改めて櫻を見上げる。
何も言わぬまま、オラクルは目を伏せた。
伏せられた睫が陰を作り、白い横顔が、幾分か蒼褪めて見える。
「…大丈夫だ」
宥めるようにオラクルの手に自らの手をそっと重ね、コードは言った。
「お前が消えるような事は無い。その為に俺様が__俺様とひよっ子がいるのだから」
何か言いたげに、オラクルは口を開いた。が、何も言わずに軽く苦笑した。
それから、冷酒の杯を傾ける。
余り呑み過ぎるな__その言葉を、コードは口にしなかった。オラクルは余り酒に慣れていない。呑み過ぎは禁物だろう。だが……
たまには、酔いに身を任せる時があっても良い。

「__本当に、凄く奇麗だ…」
手酌で杯を傾けたコードは、自分をまっすぐに見つめるオラクルの視線に、軽く苦笑した。
「艶やかであでやかなのに、媚びる所は少しも無くて……潔い」
「…古来、散り際を愛でられる花だからな」
「散り際を…?」
オラクルの言葉に、コードは頷いた。
「日本では、古来から散り際の見事さを愛でられていた花だ」
コードが言うと、一陣の風が<ORACLE>を駆け抜けた。それと共に櫻の枝が揺れ、はらはらと花びらが舞い落ちる。
その儚く幽玄な美しさに、オラクルは息を呑んだ。

「今年は、日本では櫻の咲くのが早かったらしい」
杯に酒を満たしながら、コードは言った。
「俺様の隠れ家の櫻も、もうすっかり散ってしまっている。日本の気候に合わせているからな__これは、特別にお前の為に造った物だ」
軽く顎をしゃくって、コードは櫻の木々を示した。オラクルは、そんなコードをじっと見つめている。
「……散らせたくは無いな」
やがて、独り言のようにオラクルは言った。
目を伏せ、両膝を抱える。
「…仕方あるまい。花は、いつかは散る」
やや躊躇ってから、コードは言った。オラクルが望むなら、見頃の櫻を一年中、<ORACLE>のホールに咲かせておく事など造作もない。
だが、それが本当にオラクルが望んでいる事だとは、コードには思えなかった。
「どうしても……いつかは散ってしまうものなら__」

散る前に、手に入れたい

まっすぐにコードを見つめ、オラクルは言った。
「……オラクル…?」
「艶やかであでやかなのに、媚びる所は少しも無くて潔い__そんなコードの事が、ずっと好きだった」
予想もしていなかったオラクルの言葉に、コードはたじろいだ。
「私の事…嫌い?」
「__お前…酔っているな」
「誤魔化さないで答えて。私の事、嫌い…?」
限られた空間しか知らず、それゆえ子供のように無垢で純真で__ずっと、オラクルの事はそんな風にしか思っていなかった。だから、オラクルへの想いがもっと強いものに変わっている事に気付いた時、自らを叱責し、想いを否定したのだ。
だが……
すっと、オラクルの指がコードの頬に触れた。思わず目を閉じたコードに、オラクルは唇を重ねた。

好きだよ、コード……

耳元で囁かれた甘い言葉に、コードは身体が熱くなるのを覚えた。
「ば…馬鹿!何を__」
抗議の言葉も空しく、その場に押し倒される。
いくら華奢とは言っても、オラクルの身長は200cm。オラクルより30cmも小柄で細身なコードは、押え込まれてしまったら身動きも取れない。
「な…んの真似だ」
「私は『世間知らず』かも知れないけど、何も知らない訳じゃないんだよ」
囁くように言うオラクルの、雑色の瞳が妖しく光る。
「言ってよ、コード。私の事、嫌い…?」
「……いいや…」
「だったら__好き…?」
「__ああ…好き…だ」
何かに操られているかのように、コードは答えた。オラクルは嬉しそうに微笑し、もう一度、コードにくちづける。それから、櫻色の髪に指を絡めた。
「奇麗だね……櫻の精みたい」
「…オラク__っあ…」
服の下に忍び込んできたオラクルの指に、コードは思わず声を上げた。
「止め__ん…っ」
くちづけで抗議の言葉を封じ、愛撫を続けながらオラクルは相手の服を脱がせた。やがて、夜闇の中にコードの白い裸体が晒される。
「本当に、奇麗…」
うっとりと囁き、オラクルはコードの肌の上に唇を這わせた。
「__クル、お前、酔って__あっ…」
抑えようという意志に反して唇から漏れる声に、コードは身体が熱くなるのを覚えた。相手が何も知らず無垢なだけだと思っていた末弟であるだけに、羞恥心がいっそうかきたてられる。
コードの白い頬は赤らみ、身体はオラクルの愛撫に反応している。その様に、オラクルは満足げに、そして婉然と微笑んだ。
「とても奇麗だよ。それに…可愛い」
「ば…!俺様が、可愛__ぁあっ……ふっ…」
「もう少し素直だと、もっと可愛いのに」
コードの中心をしなやかに愛撫しながら、軽く微笑ってオラクルは言った。
快感に、意識が混濁してゆくのを、コードは覚えた。
「__だ…めだ……!」
何とか抗議の声を上げると、オラクルは怪訝そうにコードを見つめる。
「…どうして?私の事、好きだって言ってくれたのに」
「お前には__ひよっ子が……」
視線を逸らし、口の中で呟くようにコードは言った。オラクルは、幾分か哀しげに眉を顰める。
「オラトリオは私の相棒だよ。シグナルがお前のパートナーであるように__全て、人間が決めた事だ」
改めて、コードは相手を見た。
「俺様たちは…人間の決定には逆らえんぞ」
「でも私たちには感情がある。自律した意志と感情が__パートナーを選ぶ事は出来なくても、誰かを好きになるのは別の事だよ」
優しくコードの髪を撫でながら、オラクルは言った。同意を求めるように、じっとコードを見つめる。

臆病だった__そう、コードは思った。
人間の選んだパートナーに特別な感情を抱く事も問題だが、別の誰かに想いを寄せるのはもっと大きな厄介事の原因になる__その危惧が、自らの想いを否定させていたのだ。
幽かに、コードは苦笑した。
「……何?」
「俺様は、潔くなど無いぞ」
喪う事を恐れるあまり、愛する事を恐れ、孤独の中に逃げ込んでいた。孤独のもたらす静寂と安寧に身を委ねて。
「それでも良いよ。私はコードが好きだから…コードの全てが好きだから」
「__オラクル…」
もう一度、二人は唇を重ねた。

この『賢者』殿は判っていて言っているのだろうか?
それとも、何も知らぬがゆえの大胆さなのか…?

どうでも良いと、コードは思った。生半可な賢しらさなど、今は要らない。先の事を憂うる臆病さも、今は捨て去ろう。今はただ、温もりに抱かれていたい……
「好きだよ、コード」
「ああ…俺様も…だ」
「愛している?」
「愛している…」
何度もくちづけを交わしながら、コードはオラクルのブローチを外した。オラクルに触れ、オラクルに触れられていたかった。全てを与え、全てを奪い、全てを分かち合いたい……
黒衣を脱がすと、オラクルの白い素肌が露になった。透けるように白く、幽かに蒼褪めて見える。その冷たげな印象とは裏腹に、オラクルの肌は温かかった。
「温かいね…」
改めてコードを抱きしめ、耳元で囁くようにオラクルは言った。コードもオラクルの背に腕を回し、しっかりと抱きしめる。
「ああ…お前も」
「温かくって、気持ち良…い」
コードは、夜櫻を見上げた。
夜闇に溶け込むように妖しくあでやかでありながら、少しも媚びる所はなく__



「__オラクル…?」
動かなくなった相手の名を、コードは呼んだ。
オラクルは眠っていた__小犬のように、コードに身を摺り寄せて。
「……ったく」
笑うべきか怒るべきか判らずに、コードはぼやいた。溜息と共に苦笑が漏れる。
「だから呑み過ぎるなと…」
囁き、雑色の髪を優しく弄る。
脱ぎ捨てられたローブを引き寄せ、オラクルの白い肩を覆った。そして、改めてオラクルの背に腕を回す。
もう一度、櫻を見上げてから、コードは目を閉じた。オラクルの身体の重みと温もりを、心地良く感じながら。


葡萄美酒夜光杯     葡萄の美酒 夜光の杯
欲飮琵琶馬上催     飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す
醉臥沙場君莫笑     酔うて沙場に臥すとも 君笑うこと莫かれ
古來征戰幾人回     古来 征戦 幾人か 回(かえ)る


口の中で呟くように詞を吟じる。
そうする内にコードは、心地良い眠りに陥ちて行った。
愛する無垢な温もりを、その腕に抱きながら。






コメント(という名の言い訳;)
7017の特別キリを踏まれた詩龍さんに捧げる「プリティーでラブリーなコード兄様」
……の、筈だったんですけど;期待されたものと全然、方向が違う気がする上に、裏送りになってしまいました;;
ラストでコードが吟じているのは王翰の涼州詞です。後半の2行が好きなので、何となく;


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