花
「降ろすよ?」
言って、カブトは腕に抱き抱えたイタチをベッドの上に降ろした。
帝王切開による出産から1週間。
イタチの体調はかなり悪く、未だに一人では歩くことも殆ど出来ない。
それでも未熟児状態で生まれた娘の事をとても気にかけていて、日に一度は必ず様子を見に行く。
見に、とは正確な表現ではない。
懐妊後、イタチの視力は急激に落ちていたが、出産を機に完全に光を失っていた。
それでも日に一度は保育器の中の我が子に触れ、その温もりを確かめる。
そんなイタチの望みを叶えるべく、イタチを抱きかかえて赤子の部屋まで連れてゆくのが、このところのカブトの日課となっていた。
「今日も殆ど食事に手をつけてないそうじゃないか。産後で体力が落ちているんだから、少しでも食べないと」
「…俺の事より伊織が…。元気が無いようだったが」
娘を気遣うイタチに、カブトは幽かに眉を顰めた。
サスケは大蛇丸の転生の器となる事を承諾して身体を差し出し、鬼鮫は生死も判らない。
イタチ自身は失明し、何の術も使えないほどに体力が低下している。
こんな絶望的な状況でも動揺を見せる事無く冷静さを保っているのは賞賛に値するのだろうが、少しくらいは頼って欲しいと、カブトは思った。
尤も、大蛇丸を裏切る事の出来ない自分に何が出来るのか、それは甚だ覚束ないが。
「…新生児は一日中、眠っているのが普通だよ」
「熱があったようだが?」
「赤ん坊は皆、体温が高いんだ」
実際、伊織は未熟児に特有な黄疸の症状が強く出ていて予断を赦さない状況にあったが、眼の見えないイタチがそれに気付かないのはむしろ幸いだと、カブトは思った。
サスケが死に、生まれたばかりの娘まで生命を落とすことになれば、流石のイタチも絶望して自ら生命を絶とうとするかも知れない。
だがイタチをなんとしてでも助けたいと、カブトは思っていた。
イタチを生かし続ける事は大蛇丸からの命令でもあるが、それとは全く別の理由で、イタチを死なせたくはない。
「…少しでも君の気が晴れるようにと思って、花を用意したんだ」
僅かに躊躇ってから、カブトは言った。
「ベッドのすぐ脇の、テーブルの上に置いてある」
「……部屋に戻った時に、何かの香がすると思ったが…」
イタチは慎重に手を伸ばし、ベッドサイドテーブルの上の鉢植えに触れた。
「……!」
その柔らかな花弁と甘い香に数週間前の記憶が蘇り、イタチの指先が震えた。
カブトが持ってきたのは、サスケがイタチの誕生日に贈ったのと同じ花だった。
「誕生花だからって訳じゃ無いけど、その花はあんたに似合ってると思う」
「……そうか?」
幾分か意外に思い、イタチはサスケに聞き返した。
サスケは軽く笑い、イタチの髪を指で梳く。
「確かにあんたのイメージとは違うけど。曼珠沙華みたいに、人を寄せ付けないくらいに美しい花の方が、あんたらしいと言えば言える」
「誉められているのだか、貶されているのだか判らないな…」
苦笑したイタチを間近に見つめ、サスケは口を開いた。
「だから…さ。あんたには近寄りがたい雰囲気があって、弟のオレですら、遠いと感じていた」
でも、と、イタチの指に自らのそれを絡め、サスケは続けた。
「あんたはただ強くて毅然としてるだけじゃなくて、この花みたいに優しくてたおやかな面もある。そしてとても繊細で誇り高くて……だから傷つき易くもある」
口を噤んだまま、イタチはサスケを見つめ返した。
これほど近くにいても、サスケの顔は見分けられないほどに霞んでしまっている。
「それに気づいた時、オレはあんたを護ろうって思った。早く大きくなってもっと強くなって、あんたを必ず護るんだって、自分に誓った」
「…サスケ…」
抱き寄せられ、イタチはそのままサスケの胸に身を委ねた。
再会するまでは、サスケとのこんな関係など考える事も出来なかった。
まだ幼いサスケに縋ってしまった過去は過ちであって、二度と繰り返すべきではないと思っていたのだ。
------兄さんは、オレが護る
だがサスケは、7年前の言葉を忘れはしなかった。
矜持の鎧の内に隠されたイタチの痛みを見抜き、幼いながらに精一杯の思いやりをもってイタチを抱きしめていたあの夜と、少しも変わってはいない。
「__ッ……」
不意に零れ落ちた透明な滴に、イタチは声も無く呻いた。
堰を切ったように流れ落ちる涙をどうする事も出来ず、誰よりも自分を理解してくれていた愛しい者はもう、いないのだと、そんな否定的な感情に押し潰されそうになる。
「…イタチ君……」
半ば呆然と、カブトは相手の名を呼んだ。
手術の直後、もう転生の儀式は終わったのだと告げた時、イタチが涙を零すのは見たが、こんな風にとめどもなく泣くのを見るのは初めてだ。
「…産褥期はホルモンバランスが急激に変化する影響で感情的になりやすいんだよ。意思の力でどうにか出来る事じゃない」
医療忍としての冷静さを取り戻し、カブトは言った。
イタチは声も無く、肩を震わせる事もなく、ただただ涙を流し続けている。
産褥期にありがちな症状だと思っても、胸が苦しくなるのをカブトはどうする事も出来なかった。
一人にしてやるべきだと思い、迷い、躊躇う。
感情が乱れやすい時期だからこそ、周囲の者の思い遣りある態度が必要なのだと考える一方、イタチのようにプライドの高い者は泣く姿を見られるなど屈辱では無いのかとも思う。
それに幾ら感情的になりやすい時期だとは言え、こんな風に泣くからには理由がある筈で、そのきっかけは自分の持ってきた鉢植えにあるのだと、考えずにはいられない。
「その花……気に入らなかったかい?」
カブトの問いに、イタチは無言のまま首を横に振った。
「だったら__」
何か思い出があるんだねと言いかけて、カブトは口を噤んだ。
『優しい思い出』
それがこの花の花言葉だが、それがもう、二度と会えぬ者との間に紡がれたものならば、思い出の中の優しさはむしろ残酷だ。
そして大蛇丸の命に従ってイタチからサスケを奪ったのは、他ならぬ自分なのだ。
それなのにイタチを助けたいなどと考えている自分に、カブトは嫌悪感を覚えた。
そして、そんな己自身に驚く。
「……僕は大蛇丸様の部下であって、僕に出来ることは自分でも呆れるくらい、限られている」
それでも、と、カブトは続けた。
「僕は君の為に……出来るだけの事は、したいと思う」
イタチは口を噤んだままでいた。
蒼褪めた頬を伝う透明な涙は止まらない。
カブトはもう一度、躊躇ってから、イタチをそっと抱き寄せた。
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