火
「母さま、見て、見て!」
声を張り上げて駆け寄って来た伊織の姿に、イタチは僅かに目を細めた。
サスケに寄り添ったまま手を差し伸べ、娘を抱きしめる。
「済みません。お邪魔する積りは無かったんですが、伊織さんがどうしてもイタチさんに見て頂きたいとおっしゃるので…」
伊織をこの場に連れて来た鬼鮫は、そう、サスケに謝った。
サスケが大蛇丸の精神に打ち克ってから3年。
音の里はサスケの統治の下、僅かではあるが里としての体裁を整えつつある。
他里の反発や妨害はサスケの予想を遥かに超えるもので、他里との小競り合いを繰り返しながら大きな戦いを避け、少しでも多くの任務依頼を取り付けるのは困難を極めた。
体調の回復したイタチはサスケを全面的に補佐しているが、名目上は大蛇丸の囚人という扱いなので表立った行動は取れない。
サスケと寝室は共にしているが、日中に顔をあわせられる機会は稀だ。
そこで数ヶ月前から、サスケは『器』を維持するのに必要な儀式を執り行うという口実のもと、部下たちが近づく事を厳禁して週に一度、隠れ家近くの森に篭もる事にした。
そこでイタチと会うのが第一の目的。
第二の目的は、その特別な儀式を行うことで転生の器としてのサスケの肉体を、3年の限界を超えて維持し続けられるのだと部下たちに信じ込ませる事だ。
サスケが大蛇丸に成り済ましていられるのはその肉体がサスケのものであり、『大蛇丸』からサスケのチャクラが発せられても何ら不思議ではないと、部下たちが信じているからだ。
もう一度、『大蛇丸』が別の身体に転生してしまったら、今までのように周囲を欺く事は難しくなる。
幸い、サスケに対する大蛇丸の執着は部下たちに周知の事だったので、サスケが『器』として特別な存在であり、儀式を執り行うことで通常の限界を超えてその肉体を維持できるのだと部下たちに信じさせるのは、さほど難しくは無かった。
「謝る必要は無い。『儀式』の時でもなければ、オレは伊織に会えないからな」
イタチに会いたがったのは伊織ではなく鬼鮫の方だろうと思いながら、サスケは言った。
イタチは囚人、伊織はそのイタチの逃亡を防ぐための人質という名目になってはいるが、伊織の養育係でもある医療忍たちがイタチの境遇に同情し、他の部下たちには内密にイタチと伊織を会わせているのはサスケも知っている。
一方の鬼鮫は暁を裏切って大蛇丸の配下に組したのだという事にしてあり、大蛇丸の部下として任務にも赴くが、イタチを逃亡させる可能性があると周囲には思われているので、表立ってイタチに近づく事は出来ない。
今、こうして伊織をイタチの許に連れてくる事が出来たのは、カブトの協力があっての事だとサスケには判っていた。
カブトが自らイタチの部屋に連れてゆくと言って伊織を連れ出し、鬼鮫に引き渡したのだろう。
鬼鮫が護衛として伊織の側にいる事はイタチの望みなのでサスケはそれに反対はしないが、カブトの行動には意図的なものを感じ、幽かな不快感を覚える。
「どうした、伊織?」
3歳になったばかりの娘の髪を軽くかきあげ、優しくイタチは問うた。
「あのね、もっとおっきいのが出せるようになったの。だから母さま、見て」
得意げに言うと、伊織はイタチの手から離れた。
そして小さな手で印を組み、胸いっぱいに息を吸い込む。
発動された業火球の術に、サスケは思わず目を瞠った。
半ば唖然とし、イタチと伊織を見つめる。
「あの後も修行したのか?」
「うん!綾乃ちゃんたちも凄いって言ってた」
伊織の言葉に、イタチは幽かに眉を顰めた。
「術を他の誰かに見せてはいけないと言っただろう?」
「だって、綾乃ちゃんや雪乃ちゃんは鮫のおじちゃんと一緒だもん」
綾乃たち三人の医療忍と鬼鮫とは、伊織に取っては等しく信頼できる大人なのだろうと、イタチは思った。
伊織が共に過ごす時間が一番長いのは養育係でもある綾乃たちなので、無理も無い事だが。
「だが、それでも__」
「イタチ。話がある__二人だけで」
それまで口を噤んでいたサスケが、イタチの言葉を遮って言った。
「…話なら後でも良いだろう。お前は『儀式』の時しか伊織に会えないのだから」
「判ってる。でも今、話したいんだ」
幾分か苛立たしげなサスケの口調に、イタチは困惑したように伊織を見た。
「伊織さんを部屋にお連れしましょうか?」と、鬼鮫がイタチに聞く。
その言葉に、伊織は不満げに頬を膨らませた。
「まだ帰らない。母さまと一緒にいる」
「でも、サスケさんが__」
「サスケちゃんばっかりズルイ。伊織も母さまと一緒にいたい」
駄々をこねる伊織に、サスケは苦笑し、イタチは眉を顰めた。
「どうしてそんな呼び方をする?サスケはお前の父上なのに…」
「別に良いさ__伊織、オレはこれからイタチに大事な話がある。だから部屋に戻ってくれないか」
諭すようにサスケに言われ、伊織は渋々踵を返した。
鬼鮫に手を引かれて去ってゆく伊織の姿が見えなくなってから、イタチは口を開いた。
「…伊織に術を教えたこと、怒っているのか?」
「怒ってはいないさ。驚いているんだ。伊織はまだ3歳じゃないか」
「業火球はうちはの基本忍術だ」
俺が会得したのも3歳の時だったと、イタチは付け加えた。
唖然とし、サスケは改めてイタチを見る。
「だが…口止めが不十分だったところを見ると、やはり早すぎたようだ」
「時期はともかく、どうして伊織に忍術を教えた?」
サスケに問われ、イタチは憂いるように目を伏せた。
「この先、何が起きるか判らない。だから、自分を護る術だけは身につけさせてやりたかった。それに……うちはの名と血を受け継ぐ者は、俺達の他には、伊織しかいない」
「だから伊織をくのいちにする積りなのか?__足が不自由なのに」
駆け寄って来た伊織が左足を引きずっていた事を思い出しながら、サスケは言った。
酸欠状態で生まれた事の後遺症で、伊織は生まれつき左足が不自由だ。
歩く時はそれほどでもないが、走る時にはどうしても片足をひきずってしまう。
「忍になるかどうかは、いずれ本人に決めさせたいと思っている。今はただ、身を護る術を教えたかっただけだ」
「だけど危ないじゃないか。火遁を失敗したら、大火傷を負う可能性だってある」
「その危険を避ける為にも、術を教えたんだ」
あのチャクラを感じただろう?と、イタチはサスケに訊いた。
ほんの一瞬ではあったが、大人の忍に匹敵するかそれを凌ぐほどのチャクラを伊織が発していたのは、確かにサスケも感じ取っていた。
「伊織は誰よりも濃くうちはの血を引いている。その力がどれほどのものになり得るのか、今は見当もつかない。そして力が膨大であるならば、それを制御する術を持たないのは危険だ」
「……あんたの言いたい事は判った」
暫くの沈黙の後、そう、サスケは言った。
「オレは伊織には出来れば普通の子供でいさせてやりたかったけど、あのチャクラを無視する訳には行かない__流石に、あんたの産んだ子だけの事はある」
「…お前の子でもあるだろう?」
イタチの言葉に、サスケは軽く肩を竦めた。
「3歳で術を会得するなんて、オレには考えられない。業火球を使えるようになったのだって、確かアカデミーの2年の時だ」
それも、1週間かけて火傷を負いながら必死に修行して、やっと会得したのだ。
あの時のフガクの言葉からしても、イタチは術の会得を難なくこなしたのだろう。
だからそれを特別な事とは思わず、伊織にも教えた。
伊織もまた、あっさりと術を会得したのだろう。
「…俺や伊織は早熟タイプで、お前はそうではない。それだけの事だ」
宥めるようにサスケの髪を撫で、イタチは言った。
「才能という点では、お前は俺を凌ぐ存在だ」
「だったら…そろそろオレにも術を教えてくれても良いんじゃないか?」
サスケの言葉に、イタチは意外そうに相手を見た。
「今のお前ならば、俺が教えることなど何もないだろう」
「そんな事は……」
まさか、と、幽かに笑ってイタチは言った。
「俺がお前ではなく伊織に術を教えたから、それで拗ねているのか?」
「そんなんじゃ…」
否定しかけて、サスケは口を噤んだ。
二人きりの逢瀬を邪魔するかのように鬼鮫が伊織を連れてきたこと。
それを可能にしたのがカブトだった事。
イタチが伊織に火遁を教えたのだと、自分より先に鬼鮫が知ったこと。
綾乃たちもそれを知っていて、カブトも知っている可能性がある事。
どれも気に入らないと言えば気に入らない。
そして子供の頃、碌に修行につきあってくれなかったイタチが伊織には手ずから術を教えたことで、嫉妬を感じたのかと問われれば、それも否定出来ない。
「伊織は俺たち二人の子だ。次はお前が術を教えてやれば良い」
「__あんたが……オレにも教えてくれるんだったら、な」
自分の娘への嫉妬を認めたサスケに、イタチはもう一度、軽く微笑った。
「だが…今のお前に教えるべきことなど、もう何も思いつかない」
「……だったら」
口元に笑みを浮かべ、サスケは言った。
「蜜よりも甘い口づけを」
イタチを抱き寄せ、耳元で囁く。
「お返しに、あんたを火よりも熱く蕩けさせてやる…」
「…まだ昼間だぞ」
口ではそう言いながら、イタチはサスケに身を凭れさせた。
「毎晩、あれだけ睦みあっているというのに、まだ不足なのか?」
「ああ…。どれだけ愛し合っても、それで充分だなんて事はない。自分の娘にも嫉妬してしまうくらい、オレはあんたに溺れているんだから……」
イタチは間近にサスケを見つめ、整った貌に妖艶な笑みを浮かべる。
「その気持ちは、俺も同じだ…」
囁くように言うと、イタチはサスケの首に腕を回した。
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