「よう」
訪ねて来た『従兄弟』は、いつものようにそう言った。何事も無かったかのように、幽かに笑みを浮かべて。
「オラ…トリオ……?」
信じられない思いで、オラクルは相手の名を呼んだ。
「久しぶりだな」
二人が会うのは3年ぶりだった。
3年の間、オラトリオは州刑務所に収監されていた――殺人犯として。
「大丈夫か?顔色が余り――」
オラトリオの言葉を、オラクルは最後まで聞いてはいなかった。意識を失い、その場に倒れたから。

自室のベッドで眼を覚ましたオラクルは、これが悪夢であることを願った。けれども、額に乗せられたタオルの冷たい感触が、その願いを打ち砕く。
「貧血を起こしたんだな。お前は身体が丈夫じゃないんだから、気をつけねえと」
優しく言って、オラトリオは微笑した。
オラトリオから視線を逸らしながら、彼がいつ出所したのだろうとオラクルは思った。
オラトリオの有罪評決が下った時、オラクルは誰にも告げずに街を出ていた。その後は、『従姉弟』たちとも連絡を取っていない。
「2ヶ月前だ、出てきたのは」
オラクルの心中を見透かしたかのように、オラトリオは言った。
「刑期はもうちっと長かったが、模範囚って事で早く出て来れた」
言って、オラトリオはオラクルの髪にそっと指を絡めた。
「ずっと……お前の事ばかり想ってたぜ?お前は一度も会いに来てくれなかったが――」
オラトリオの手を振り払い、オラクルはベッドに上体を起こした。目眩がしたが、そんな事に構ってはいられない。
「どうして此処が判った?何故、私を捜したりした?」
「お前に会いたいから」
躊躇いも無く、オラトリオは答えた。オラクルの手首を軽く掴み、引き寄せる。
「言っただろ?お前を愛している。お前の為なら、何だってすると」

喩え、人殺しであろうとも

背筋に悪寒が走るのをオラクルは覚えた。
オラトリオの手を振り払いたいのに、身体が言う事を聞かない。
「お前を捜すのは難しく無かったが、引っ越すなら連絡してくれても良かったんじゃねえか?」
「……私…は……」
「別に恨み言を言いたい訳じゃねえんだ。何より、お前に会えて凄く嬉しいぜ」
まるで睦言のように甘く囁くと、オラトリオはオラクルの白い指に軽く口づけた。
オラクルの指が、幽かに震える。
「……私をどうする積もりだ?」
「何もかも、俺が一人で勝手にやった事だ。だから、お前は何も心配しなくて良い――あの時、そう言っただろ?」
まるで物分かりの悪い子供を諭すような口調で、オラトリオは続けた。
「俺がお前に見返りを期待してるんじゃないかなんて心配も無用だ。俺が勝手にお前を好きになって、お前を護りたくて――だが、お前が俺の気持ちに縛られる必要なんぞない」
3年前と同じ言葉を、オラトリオは繰り返した。
オラクルにはオラトリオの言葉が信じられなかった――3年前も、今も。
だからこうして街を出、オラトリオから逃げようとしたのだ。
「――だったら…どうして私を捜した?どうして放っておいてくれない?」
「放っておくなんて出来る訳ねえだろ。お前は身体が弱いんだし、貧血起こしたのもちゃんと食ってないせいだろ」
オラトリオの言葉は正しかった。オラクルはこの数日、体調を崩して伏せっていたのだ。

この街に来てから、全てが難しくなった。
物価は故郷より高いし、家賃も払わなくてはならない。
デザイン事務所に所属していた頃と違ってフリーで仕事をしているので、収入も安定していない。
人付き合いを避けているせいで、病気をしても見舞ってくれる相手もいない。

3年ぶりに知った相手に会って、オラクルは奇妙な安堵感を覚えていた――それが、自分の為に人を殺した男であっても。



そのままオラトリオはオラクルの部屋に居つき、数日が過ぎた。
オラトリオはオラクルの為に食事を作り、夜はソファで眠った。オラトリオは何事も無かったかのように明るく振る舞い、オラクルの警戒心は徐々に薄れていった――その日までは。

電話が鳴り、オラクルはそれに出る為に読んでいた雑誌をテーブルに置いた。キッチンにいたオラトリオが駆け寄るようにして受話器を取り上げたのはその時だった。
「はい――ここにはいない。仕事の話だったら伝えておきますが」
事務的、と言うよりぶっきらぼうな口調で、オラトリオは電話の相手に答えた。そして、幾分か苛立たしそうに電話を切る。
「……誰からだったんだ?それに、私宛の電話じゃなかったのか」
「どっかのあばずれがお前に付き纏いたがってる――断っといたがな」
多分、彼女だろうという心当たりがオラクルにはあった。たまに仕事を貰う会社の担当者だ。半年前に離婚し、子供が二人いると言っていた。年はオラクルより7、8歳、上だろう。何度か食事に誘われたが、殆ど断った。彼女に興味はなかったし、それ以上に誰とも関係を持ちたく無かったから。
それでも、オラトリオが勝手に電話に出、取り次ぎもしなかった事がオラクルの気に障った。
「どうしてそんな勝手な真似を――」
「勝手な真似だと?」
強い口調で遮られ、オラクルは驚いた。
「クォータに付き纏われて結局どうなったか忘れちまったって言うのか?下手したらお前があの野郎に殺されてたんだぜ?」
喉を締め付けられるような不安に、オラクルは口を噤んだ。普段は大人しいペットの犬に吠え掛けられたような気持ちだった。
オラクルの不安を見て取ったのか、オラトリオは口調を和らげた。
「お前は何も心配しなくて良いんだぜ?お前は俺が護る。碌でもねえ奴を、お前に近づかせたりしねえぜ」
優しい言葉に、オラクルは却って不安が募るのを覚えた。『護る』という口実の元、生活の全てをオラトリオに監視され、管理されてしまうように感じたから。

オラクルの不安は、すぐに現実になった。
「まだ起きてたのか?」
その夜、店から戻ったオラトリオは、仕事をしているオラクルの姿に驚いたように言った。
オラトリオは近くのレストランで料理人の仕事にありつき、いつも帰宅は真夜中になる。それで、普段ならばオラトリオが戻る頃にはオラクルは眠っていた。
「ちょっと締切りのきつい仕事が入って……。2、3日は寝る間も惜しいくらいだよ」
「断れよ、そんな仕事」
オラトリオの言葉に、オラクルはやや驚いて相手を見た。
オラトリオの表情は、ぞっとするくらい険しい。
「お前は身体が弱いんだぞ?そんな無茶をしてまた倒れでもしたらどうする」
「……私の身体が弱いなんて、お前に言われたくないよ」
オラトリオの表情に幽かに恐怖を覚えながら、オラクルは言った。
二人は表向きは従兄弟だが、双子の兄弟だ。オラクルは生まれた時に、実母の姉夫婦に養子に望まれ、引き取られた。
もっと言えば、望まれてはいなかった。
養父母は確かに子供を欲しがっていたが、それがこんなに病弱で手のかかる子だと知っていたら、引き取りなどしなかっただろう。

オラトリオの方を貰えば良かった

愚痴をこぼした養父の言葉が、オラクルの脳裏に蘇る。
それまでも、オラクルは健康でいつも明るい『従兄弟』を羨んでいた。
そしてその日から、羨望は暗い嫉妬と冷たい憤りに変わった。



「…身体が弱いのはお前のせいじゃねえぜ」
口調を和らげ、オラトリオは言った。
「俺達は双子だからな。お袋の腹ン中にいた時に、俺が余計に栄養を摂っちまったのかもしれねえしな」
オラトリオの軽口に、オラクルは視線を逸らした。
体格でも容姿の点でも兄弟の中で最も恵まれているオラトリオの言葉に、オラクルは不愉快な嫉妬を覚えた。
「とにかく、これは仕事なんだ。スケジュールがきつかろうが何だろうが、やらなければならない」
「身体を壊しちゃ、元も子もねえだろ」
「私はお前が思っている程、ひ弱じゃないよ。それに――」
いきなりPCの電源を切られ、オラクルは驚いて相手を見た。
「…!何を――」
「止めちまえよ。そんな、仕事は」
「まだセーブして無かったんだぞ。お前は――」
途中で、オラクルは言葉を切った。
羨望して止まない美しい暁の瞳に、酷く暗い色が浮かんだから。
「金が必要なら俺が何とかするぜ。無論、コックの収入じゃ、たかが知れてるが」
それでも、と、オラトリオは続けた。
「お前が無理をするのを止めさせる為だったら、俺は何だってするぜ。どんな事でも…な」
ぞくりと、背筋に悪寒が走るのを、オラクルは覚えた。
相手は人殺しまでやってのけた男だ。
『何だってする』と言うなら、本当にどんな事でもやり兼ねない。



夜汽車の座席に横たわりながら、何故、自分はこんな所にいるのだろうと、オラクルは思った。
オラトリオが仕事に出掛けた後、発作的に列車に飛び乗った。
行く宛てなど無論、無い。
何処に行くかも決めてない。
ただ、オラトリオから逃れたかった――オラトリオの、執念から。
執念――他に表現のしようは無いと、オラクルは思った。
同性であれ異性であれ、オラトリオはた易く他者の心を掴む。それだけの素質を、彼は自然から恵まれていた。
そのオラトリオが何故、自分に固執するのか、オラクルには理解できなかった。



其処は、家族経営の小さなホテルだった。余り便の良くない場所にあり、宿泊費も安ければ、宿泊客も少ない。
オラクルがかりそめに身を落ち着けるのに相応しい場所だった。

ホテルに着いてすぐに、オラクルは熱を出して寝込む羽目になった。多分、列車の座席で一晩、過ごしたのが悪かったのだろう。本来なら、一個所に長く留まりたくは無かった。が、彼は部屋から一歩も外に出られないほど衰弱していた。
漸くベッドから起き上がれるほどに回復した時、オラクルは思いがけない――或いは予想していたと言うべきか――相手の訪問を受けた。
「どうしたんだ?」
戸口に現れると、オラトリオは言った。
「別にどっかに出掛ける度に俺に行き先を言えとは言わねえが。それでも…」
心配だからな――優しい笑顔と共に言ったオラトリオの言葉に、オラクルは改めて思い知らされた。
決して、逃れられはしないのだ…と。


その夜、オラトリオはノックもせずにオラクルの寝室に入り、そのままベッドにもぐり込んだ。
オラトリオが突然、現れてから、オラクルはいつも寝室に鍵をかけていた。が、その日はそれを忘れていた。酷く疲れていて、気が回らなかったのだ。
或いは、オラトリオはその機会を待っていたのかもしれない。
「愛してる…ぜ?」
美しい声で耳元で囁かれながら、それが自分とは無縁のどこか遠い世界での出来事のように、オラクルは感じた。
オラトリオは巧みで優しかった。が、オラクルは何も感じなかった――快感も痛みも何も。










予想もしていなかった相手の姿を視界の端に捕え、コードは意外に思った。
大型ショッピング・センター付随のカフェテリア。彼は其処に、妹達に付き合って来ていた。妹達の買い物が終るまで、ここで時間を潰そうと思ったのだ。
他のテーブルでは家族連れや女連れがケーキを食べながらダイエットの話題に花を咲かせている。
そんな俗な場所で、彼のいる空間だけが、異次元のように浮いて見えた。
「昼間から酒か?」
声をかけると、相手はゆっくりとこちらに視線を巡らせた。
その姿に、コードは息を呑んだ。
元々、オラクルには現実感がなかった。人目を引く長身でありながら、とても華奢で危ういほどに儚い。
オラクルからあんな仕打ちを受けながら、そして当時は『恋敵』であったにも拘わらず、オラクルの気まぐれな誘いに応じる気になったのは、その喩えようも無い雰囲気に惹かれたからだろう。
コードの言葉に、オラクルは応えなかった。ただ、白ワインを満たしたグラスを見遣る。
その頬は透けるように白く、見る者を不安にさせる程、蒼褪めていた。
「……顔色が良くないな」
言ってから、コードは自分の言葉に驚いた。
今更、オラクルがどうなろうと関係はない筈なのに。そして、オラクルも自分に興味など持つまいに。
「……私は、自分が生きているとは思っていない」
独り言の様に、オラクルは言った。

ただ…ゆっくりと死んでゆくだけ

「悪ぃな、待たせちまって」
聞き覚えのある声に、コードは振り向いた。
鈍い金色の髪。美しい暁の瞳。そして、類希な長身――かつて彼の心を占めていた青年の姿が、そこにはあった。
咄嗟に、何を言うべきか、コードは迷った。
が、その必要は無かった。
「天気予報じゃ雪になるとか言ってるからな。とっとと帰ろうぜ」
明るく言うと、オラトリオは席を立ったオラクルの腰に、躊躇いも無く腕を回した。
コードの事は無視して――と言うより、目に入っていないのだろう。

決して自分を愛する事はない『恋人』
その一人の為に、オラトリオは仕事を棄て、友人を棄て、家族を棄てた。
ただ一人の為に、彼は罪に手を染めた。
けれども、オラトリオに有罪判決が下ると、オラクルはすぐに街を出た。人づてにそれを耳にした時、コードは幽かな憤りと嫉妬を覚えたものだ。
信じられないほどに強く深いオラトリオの想い――それを、オラクルは冷酷に拒絶したのだ。
出所してオラクルが自分から"逃げた"事を知った時、オラトリオはどんな気持ちだったのだろう……

「クリスマスの予定なんだけどな。どっか、二人で出掛けねえか?」
最愛の者を腕に抱く男のように、幸せそうにオラトリオは言った。
オラクルは俯いたまま、答えない。オラトリオの腕を振り払おうともせず、ただ相手の為すに任せている。
「何処に行きたい?お前の行きたいとこなら、俺はどこだって良いぜ」
遠くなってゆくオラトリオの言葉を聞きながら、立っていられなくなるほどのおぞましさを、コードは覚えた。

最愛の者の為に全てを棄てた男――
彼が引き換えに手に入れたのは、今にも壊れてしまいそうに危うい『人形』なのだ……







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コメント
2888の裏キリを踏まれた前田みやさんに捧げる「IFか年の差ろりクルで、異常にクルに執着してるトリオ君」です。「クルさんはトリオは好きだけど、怖いから離れたいし、逃げたいのだけど、その度に捕まって、最後には諦めの境地、トリオの言うがまま〜。 周りはトリオの狂ってるの知りません。」というリクだったのですが、相変わらずリクから外れてますね〜;;

裏にある「Blood」の続編です。いつか書いて見たかったので。思いっきりいっちゃってるトリオと、それに引きずられるクルさん。トリオが幸せそうなのが却って怖いですね〜。という訳で、さよなら、さよなら、さよなら(脱兎〜;;)