(4)


連れて行きたい所がある
見せたい物がある
CGではなく、本物を…

エゴなのは判っていた。それでも、期待した。
期待せずにはいられなかった。

何年、一緒にいても、どれほど愛し合っても、感覚の溝は埋められない。敢えて『世間知らず』という言葉で、誤魔化してきた。
それでも、誤魔化しきれない時もある。
自分が造られる前、オラクルにCG(すがた)が無かったのだと知った時、実はかなりショックだった。十年以上も『相棒』として過ごしながらそれを知らなかった事も、同じくらいの衝撃だった。

同じく意志を持ち、同じく感情を持つ人格プログラム。
だが、他の者には決して共有できない感覚も持っている。

<ORACLE>を統御するという事。
<ORACLE>の全システムのすみずみまでを、五感とは別の感覚で認識する事。
侵入者に対し、あれほど強い恐怖を示すのはその感覚の故なのだ。
そしてそれは本来、『トラウマ』の一言で語れるものでは無い。


「__欲張りだったんだ…な。俺は」
やがて、オラトリオは言った。

<ORACLE>から引き離して、俺だけのものにしたかった。
だがもし<ORACLE>から完全に引き離したら、それはもう、オラクルではない。
俺が、<ORACLE>の守護者で無くなれば、俺ではないように。

「…少し、時間をくれないか」
躊躇った後、オラクルは言った。
「今すぐあのボディに戻るなんて耐えられない…。でも…もう少し、時間を貰えれば…」
「__判った…」
研究員たちには俺から話しておくと、オラトリオは言った。


オラクルが侵入者への恐怖の余り、ボディの制御を失ったという報せは、プロジェクトに係わった研究員たちを震撼させた。プロジェクトの計画段階ではオラクルの心理面をケアする為に、ロボット心理学の専門家が付く事になっていた。
それが実現しなかったのは予算のせい。
そういう事情があったので、オラクルが落ち着くまで電脳空間にいさせてやりたいというオラトリオの申し出は、さほど抵抗も無く受け入れられた。ただ、曜日を決めて週に2度はボディに戻るようにとの条件がつけられたが。
オラトリオが再び<ORACLE>に戻った時には、オラクルも大分、冷静になっていた。そして言い渡された条件を受け入れる事にした。
尤も、他に選択の余地は無かったのだが。


現実空間に戻った1日目には、オラクルは検査漬けにされるのに耐えなければならなかった。その日はオラトリオがT・Aにいたから、検査にもずっと付き添った。それで、オラクルの気持ちも落ち着いていたし、動作チェックなどは何の問題も無かった。
その3日後は、そうは行かなかった。
オラトリオは4日間の予定で出張に出掛けており、戻るのは翌日の夜だ。オラクルはいずれ勤務する事になるインフォメーション・センターに見学に来るよう、言われていた。

見学と仕事の説明は午前中で終った。が、ボディに慣れる為に、夕方頃までは現実空間に留まるよう、指示された。それに、本体とボディのリンクに関する統計データも取る必要があると、その研究員は言った。
まっすぐ部屋に戻る積もりで、オラクルはインフォメーションセンターを出た。ボディが何もしていなくても、<ORACLE>の制御はしているのだから、リンクの統計データを取るのに不都合は無い筈だ。
建物のホールを横切っていると、見学者の一行とすれ違った。案内をしているのはエモーションだ。エモーションに微笑みかけられ、軽く会釈を返す。そのまま部屋に向かおうとしたオラクルは、誰かが駆け寄って来る足音に立ち止まった。
「オラトリオ…。まさかこんな所で会うなんて思わなかったわ」
オラクルが振り向くと、その女性は言った。
「私は__」
「ここではそういう格好なの?髪の色も変えたのね。でもどうでも良いわ、そんな事は」
その若い女は、奇妙な熱意__敵意と、情熱をないまぜにしたような__に黒い瞳を輝かせ、口早に言った。そして、ハンドバッグをかき回し、メモを取り出す。何かを書き付けてページを破るとそれをオラクルの手に握らせた。
「今夜、そこに泊まっているわ。必ず連絡して。9時以降だったら何時でも良いわ」
「…失礼ですが__」
「それくらい、しくれても当然でしょ?あなたのせいで私はあそこを辞める羽目になったわ。秘密を喋ったのが私だってばれたから。それに…」
女はオラクルの腕を掴み、声を潜めた。
「散々、思わせぶりな言葉で酔わせて翻弄して身体の全てに触れておきながら、情報だけ聞き出したらさっさと帰ってしまうだなんて、そんな事が許されると思わないでよ?」

必ず連絡して__面倒を避けたいのなら

言い置いて、女は踵を返し、見学の列に戻った。






最上階でエレベーターを降り、更に階段を上る。屋上へ出る扉は本来、鍵がかかっている筈だった。が、重い扉は、それでも抵抗無く開いた。
初めて現実空間に出た翌日、オラトリオが展望台に連れて行ってくれたのを思い出す。その距離感に目眩がし、思わずオラトリオにしがみついた。暫くするうちに、その感覚にも慣れたけれど。
あれから、2週間も経っていない。

今はまだ、現実空間に慣れていねえから

オラトリオも、プロジェクトの研究員たちも同じ事を言う。多分、その通りなのだろう。ただ、慣れていないだけ。

でも、何故、慣れなければならない?
慣れたらどうなるというのだ?

オラクルは、オラトリオが何故、自分を現実空間に連れ出そうとしたのか、判らなかった。

CGでは無く、『本物』の景色を見せたかったから?

だとしたら、馬鹿げている。このボディは言わば、外部センサーに過ぎないのだ。センサーを経て得られる視覚情報なら、デジタルカメラの映像を<ORACLE>で見るのと何ら変わらない。

お前が私に見せようとしたのは、知らしめようとしたのは何だったんだ?

過ごし辛い気候。
みすぼらしく萎れる花。
社交辞令と、きわどい駆け引き__

オラトリオが監査先で情報を得る為に女性をベッドに誘った事は前にもあった。正確には、オラクルがそれを知った事は以前にもあったと言うべきだろう。
オラトリオはその時、こんな事は二度としないと約束した。
そして、約束は破られた。
現実空間に出なければ、オラトリオが約束を守っていない事など知らずにいただろうが。


オラクルは、屋上の手すりに歩み寄った。陽射しが強く照り付け、眩しさに眼が眩む。

お前が私に知らしめたかったのは何だ?
私が『世間知らず』だという事?
『本物』の花の枯れる姿も知らず、人間の暗い側面も知らず
お前の言葉の全てを信じて疑わない『世間知らず』だ…と?

下を見下ろすと、背筋に寒気が走った。目眩と、耳鳴りがする。

私ハ…本当ニオ前ニ愛サレテイルノカ…?

身体(ボディ)のバランスを崩し、オラクルは思わず手を差し伸べた。守護者の、力強い腕を求めて。
そして、虚しく空を掴んだ。










その報せは、オラトリオには信じられなかった。すぐにリンクを通して呼びかける。
答えは無かった。
<ORACLE>にアクセスすると、全ての機能は正常だった。インターフェース・プログラムが、穏やかに定型句を繰り返す。

原因は判らない。
事故なのか、故意に飛び降りたのか…
いずれにしろ、ボディの修復は不可能だ。
30階の高さから落ちる事など想定して造ってないからな。

電話をかけて来た研究員の声が、呪いのように耳の奥で木霊する。
オラトリオは監査先でワークステーションの1台を借り、接続して<ORACLE>に降りた。専用機以外からの潜入(ダイブ)はひどく負荷がかかるが、そんな事に構っている気は無かった。


「オラクル!オラクル…!」
オラクルの気配は感じられた。が、そのCG(すがた)は何処にも無かった。
広いホールにも、書庫にも、プライヴェート・エリアにも。
「オラクル、答えてくれ!」
オラトリオはオラクルの姿を求め、狂ったように<ORACLE>内を走った。
「オラクル…!」

[ココニ居ルヨ]

やがて、オラトリオの電脳に、直接通信が入った。声ではなく、言葉でもない。

「…オラクル…」
[<ORACLE>(ワタシ)ハ無事ダ。全機能ハ正常]
「オラクル、姿を見せてくれ」
オラトリオの言葉に、返事は無かった。オラトリオは、恐怖に近いほどの不安を覚えた。
「オラクル、頼む…!」
[__コレガ私ダ]
暫くの後、通信が再開された。
[オ前ガ造ラレル前ノ、コレガ本来ノ私ノ姿…]

周囲が暗くなって行くのを、オラトリオは感じた。数多の本棚やテーブル、カウンターが消えてゆく。やがて、白亜の図書館はその姿を消し、漆黒の平面と、その上を走るグリーンの格子(グリッド)だけが残った。
「…オラクル。どうし__」
[私ハ…本当ニオ前ニ愛サレテイルノカ…?]
「オラクル、何があったんだ。一体、どうして__」

不意に、オラトリオの脳裏に、強烈なイメージがフラッシュバックした。
オラトリオを非難し、問い詰める若い女。
彼女と過ごしたホテルの一室。
相手が、別な女に変わる。
コードの不機嫌そうな姿と、オラクルの哀しげな顔。
情報を得る為に止むを得なかったのだと、それでも決して同じ事は繰り返さないと誓った自分の言葉…

[判ラナイ…私ニハ…]


それが、最後だった。その後のどんな呼びかけにも、オラクルは応えなかった。










オラクルのパーソナルプログラムが機能不全に陥ったのは、フォールト・トレランス(耐故障性)機能が働いた結果だった。
かつて、オラクルが侵入者の恐怖に怯える余り、システム全体がダウンしかけた事がある。
その時、オラクルの感情プログラムに閾値をこえる負荷が掛かった時には、システムを保全する為に、パーソナル・プログラムの機能を停止させる仕組みが組み込まれたのだった。


だがオラクルを停止に追い込んだ原因が何だったのかは、誰も知らない。
オラトリオは、黙して語らなかった。



そして3週間後、<ORACLE>開発当初の仕様に従い、オラトリオは<ORACLE>の管理者となった。
もう二度と、<ORACLE>から出る事は無い。






back

この話を読んでの感想などありましたら、こちらへどうぞ