あいつと付き合い始めて、もう、5年が過ぎた。
20代の前半を、共に過ごした事になる。
こんなに長く続くとは思っていなかった。
友人や家族に隠さなければならない、『出口の無い』関係。
そんなものが続けられるとは思っていなかった。
だから、時間はとても貴重だった。
一緒に過ごせる時間は、一瞬一瞬が宝石のように貴重で、そして輝いていた。

でも、今は…………?





-1-




「なあ、いい加減に機嫌、直せよ」
右手に傘、左手に荷物を持ちながら、オラトリオは器用に煙草に火を点けた。
「別に怒ってないって言っただろう」
「だったら何でさっきからずっと黙ってんだ?」
オラクルは答える代わりに軽く肩を竦めた。そして、向かいから来た自転車をやり過ごすために歩道の端に寄る。
「別に、話す事もないし」
言ってしまってから、オラクルは自分の言葉に不機嫌になった。
話したいことは幾らでもあった筈だ。このところお互いの仕事が忙しくて、ゆっくり会える機会も無かったから。
それでも以前だったら、何とかして時間をやり繰りした。
睡眠時間を削ってでも、二人で過ごせる時間を作った。
それが無理な時でも、メールを送り、留守番電話にメッセージを残した__内容は、他愛の無い事ばかりだったけれど。
「行けるかどうか判らないって言っといただろ?」
「行けなくなるようなら電話するって、言ってた」
「したさ。2度とも話中だった」
言って、オラトリオは紫煙を吐いた。

オラトリオが電話してきたのは昨日の朝だった。徹夜明けで、その日が締め切りの原稿を終わらせたばかりだと言っていた。
夜は編集部の飲み会があるが、早めに切り上げられたらそっちに行くから、と。
オラトリオからの連絡を待っている間に、コードから電話があった。
いつものお説教だ。
コードはオラクルとオラトリオの関係に気づいていて、それを快く思っていない。
オラクルは子供の頃、事故で両親を亡くし、親戚のカシオペア家で育った。だからコードは兄のような存在だ。
さもなければ、余計なお世話だと言って電話を切っていただろうが。

「電話が通じねぇからメールを送っただろ」
「届いたのは今朝になってからだよ」
「それはそっちのメール・サーバーの過負荷のせいで__」
「お前がちゃんと昨夜のうちにメールしたのは判ってるよ。だから怒っていないって、さっきから言ってるだろう?」
信号待ちで立ち止まり、宥めるようにオラクルは言った。
それでも、オラトリオの顔は見ない。
このバカは、3度目に電話してきた時の事を覚えていないのだ。

大分、酔っているらしいのは喋り方で判った。
徹夜続きの上に風邪気味だと言っていたから、それでアルコールが早く回ったのかも知れない。
どこの店に行ったのだが、周囲が騒がしい。
――後で必ず埋め合わせすっから、怒んなよ?
怒ってなどいないけど、飲みすぎじゃないのかとオラクルが言いかけた時に、別の声が割って入った。
――誰に電話してるの?彼女?
――そんなんじゃねーよ
笑い声と、揶揄する声が聞こえた。
それから、ノイズが続く。
電波状態の悪さに耐えられなくなって、オラクルは一方的に電話を切った。



「お前が怒ってるか怒ってないかぐらい、俺に判らないとでも思ってんのか?」
「…もう、良いよ」
「良くなんかないぜ。ちゃんと今朝も電話して謝ったし、こうして買い物にも付き合ってやってんのに、お前は__」
「付き合ってくれなんて頼んでないだろう」
オラクルは言って、オラトリオに持たせていた荷物をひったくる様にして取った。
信号が変わり、足早に歩き出す。
「__オラクル……?」
激しさを増した雨の音に、オラトリオの声がかき消されそうになった。

――そんな関係がいつまでも続けられると思うのか?

不意に、コードの言葉が脳裏に蘇る。

――今は若さで眼が眩んでいるだけだ。冷静になれば、あの男はきっとお前から離れて行く

「オラクル」
相手の前に立ちはだかり、オラトリオは言った。
「一体、どうしちまったんだ?何がそんなに気に入らない?」
「怒ってなんかいないって言ってるのに、お前のそういうしつこいところが嫌いだ」
「待てよ」
歩き出そうとしたオラクルの腕を、オラトリオは掴んだ。
すれ違った若いカップルが、意味ありげに二人を見る。
オラクルはオラトリオの手を振り払おうとしたが、オラトリオは却って強く手に力を込めた。
「最近、ずっと会えなかったから拗ねてるのか?」
「……手を離せよ」
「昨夜だってずっと俺を待っててくれたんだろ?」
「__自惚れるな、バカ……!」
頬に血が上るのを自覚し、オラクルは視線を逸らした。
3度目の電話があったから、オラトリオを待ちはしなかった__結局、眠れなかったけれど。
「自惚れでも何でも良いぜ。俺は、お前を愛してる」
「たわごとは止めてくれ」
急に周囲の全ての視線が自分たちに注がれているような気がして、オラクルはオラトリオの手を振り払った。
美しい暁の瞳に、傷ついた色が浮かぶ。
「俺の……自惚れだけなのか?お前にはもう、俺は必要ないのか?」
喉元を締め付けられたような苦しさを、オラクルは感じた。
「……もう、良いからうちに帰ろう。人が見てるよ」
「はぐらかすなよ。俺は今、ここで答えを聞きたいんだ」
「いい加減にしろよ。どうしてお前はそう__」
不意にその場に跪いたオラトリオを、オラクルは呆然と見下ろした。
傘を投げ出したオラトリオを、激しい雨が容赦なく濡らす。
「一緒に居てくれ、傍に居て、手を離さないでくれ」
まっすぐにオラクルを見つめ、雨の音に負けじとばかりに大声で、オラトリオは言った。
「微笑ってくれ。お茶を淹れて、食事をして、酒を飲んで、他愛ないおしゃべりをして、眠って起きてSEXして散歩して抱きしめてキスをして、そして、…………」
周囲を行く何人かが振り返り、何人かは無関心を装いながらほくそえんでいる。
「愛してくれ」
どくりと、心臓が大きく鼓動するのをオラクルは感じた。
「愛している、オラクル。俺を……愛してくれ」
言って、オラトリオは手を差し伸べ、オラクルの手に触れようとした。
「__バカトリオ……!」
オラクルはオラトリオの手を振り払い、足早にその場から去った。











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