「お断りします」
何度目かの求愛を素っ気無く拒んだ相手に、カカシは軽く溜息を吐いた。
「俺のどこが気に入らないんですか?」
「あなたの事は好きです」
「それじゃ訳が判りません。この前も訊いたけど、どういう事なんですか?」
「この前も申し上げた通り、あなたの事は好きですが、お付き合いはしたくないという事です」
イルカの口調も表情も冷たく、受付所で見るのとは別人のようだ。
「理由を教えて下さい。納得のいく答えを聞くまでは、帰りませんから」
その日、カカシはイルカの家に来て、一緒に夕食を食べた。
知り合って暫くしてからカカシがイルカを飲みに誘うようになり、今ではこうして時折どちらかの家で夕食を共にしている。
イルカもカカシに好意を抱いているのは確かだ。にも拘わらず、カカシの想いを拒み続けている。
「…あなたが、本気で俺を好きだとは思えないからです」
「本気で無かったら、こんなに何度も好きだって言ったり、付き纏ったりしません」
「ゲームみたいなものでしょう、あなたに取っては」
思ってもいなかったイルカの言葉に、カカシは軽く眉を上げた。
「ゲーム?」
「適当な相手を見繕って、誘って、モノにして、飽きたら棄てる…」
「俺がそんな事をするように見えるんですか?」
「『見える』のでは無くて、『知っている』のです」
イルカの言葉に、カカシは何度か瞬いた。
「……誰がそんな事を?」
「アカデミー教師になる前、俺も暗部にいたんです。17から、二十歳になるまで」
それが何を意味するか、カカシにはすぐに判った。
親友であり恋人でもあったオビトが死んで暫くしてから、カカシは手当たり次第、不特定多数の相手と寝るようになった。
相手は遊里の玄人の時もあれば、暗部の仲間の時もあった。忍ではない里人を誘うことすらあった。
流石に見かねた暗部隊長から何度か注意を受けたが、カカシは聞き入れなかった。
あの頃、暗部にいたなら、カカシの『乱行』の噂を耳にしなかった筈は無い。
「……昔の話です。ガキの頃の事だ」
そんな昔の事でも許せないんですか?__カカシの問いに、イルカは幽かに眼を眇めた。
「……あの頃から…俺はあんたが好きだったんです」
「…イルカ先生…?」
「あの頃、俺がどんな気持ちでいたか、あんたには判らないでしょう。それどころか、俺が暗部にいた事に気づきもしなかったでしょうから」
カカシは慎重に記憶の糸を辿った。
が、イルカに似た相手は思い出せない。
暗部の構成員は異動が激しい。
殉職者が後を絶えないので絶えず補充していなければならないし、研修の為に比較的、短期間暗部に留まり、また里に戻る者も少なくない。
その上、同じ任務に就きでもしない限り素顔を見せることも本名を名乗る事もない。
だから長く暗部に居たカカシでも他の忍の全てを知っている訳では当然、ない。その一方で、カカシはエリートとして敵にも味方にも、広く名を知られていた。
だから、カカシを知っている相手をカカシが知らないのは極、普通の事だ。
それでも、その頃イルカを知っていたら、あんな風に何年も痛みを引きずりはしなかっただろう。
「……過去に荒れてた時期があったことは否定しません。でも、今は真剣にアナタを__」
「あんたは何も判っていない」
カカシの言葉を遮って、イルカは言った。
「あの頃のあんたが何をしようと、そんな事はどうでも良いんです」
「…だったら?」
「何故、あんな事をしたんですか?」
カカシの問いに、イルカは問いで答えた。
カカシは暫く黙って黒曜石のような双眸を見つめた。
イルカが暗部に入ったのは、オビトが死んで1年後くらいの頃だろう。
オビトとの関係は隠しもしなかったから、暗部では結構、知られていた。が、オビトの死後、1年も経ってから暗部に入ったイルカがそれを知っているかどうかは判らない。
知らないのなら余計な事を言わない方が良いのかもしれない。それでも、口を拭って過去を誤魔化す気にはなれなかった。
イルカには、全てを話したい。
自分の過去も、過去の想いも全てを。
「…9年前に、一人の男が死にました。任務でドジった俺を助けようとして…俺を庇って死んだんです。そいつは俺の親友で……恋人でした」
イルカの表情に変化は無かった。
やはり知っていたのだと、カカシは思った。
「……アイツが死んでから、俺は『優秀な忍』らしく、アイツの死を冷静に受け止めようと努力しました。まだガキだったから、そんな青臭い事を思って、青臭い努力をした」
けれども、無駄だった。
冷静になろうとすればする程、やり場の無い憤りと哀しみが激しくなった。
オビトを忘れようとすればする程、思い出は鮮明になる。
上層部の命令で移殖したオビトの写輪眼を何とか使いこなせるようになってから、それが酷くなった。
鏡を見る度に、そして写輪眼を使うたびにオビトを思い出した。
そして、それ程までに自分の心を占めていながら勝手に死んでしまったオビトを恨んだ。
「…口には出さないけど結構、嫉妬深いヤツだったから、俺が手当たり次第の相手と寝てれば、化けて出てくるんじゃないかなんて、半分くらいマジメに思ってたんです。そして…俺を一緒に地獄に引きずり込んでくれるんじゃないかって」
後の半分は、自責の念を紛らわす為だった。
快楽に身を委ねていればその間だけは余計な事を考えずに済む__身体の熱が引いた後に、一層の自己嫌悪を味あわなければならないとしても。
「……俺も、嫉妬深いんですよ」
ぽつりと、半ば独り言のように言った相手を、カカシは改めて見つめた。
「…イルカ先生。それはつまり__」
「独占欲の塊なんです。手に入れるなら、全てを自分のものにするので無ければ気が済まない。だから、あなたがオビトさんの事を忘れない限り、あなたと深い仲になる積りはありません」
きっぱりと言い切った相手を、カカシは黙ったまま見つめた。
最初に興味を引かれたのは、ナルトを怒鳴る姿を見た時だった。
初めて会った時も、受付所で見かける時も、イルカは温かく微笑んでいて、『癒し系』という渾名をつけられているらしいと、知り合って暫くしてから知った。
確かにあの笑顔には癒される。
けれども、惹かれたのは穏やかな微笑よりもむしろ、包み隠さず激しい感情を露にするイルカの姿だ。
よく笑い、よく怒り、涙もろい。
その情感の豊かさと、何事にも真摯に取り組む性格のまっすぐさに、憧れにも近い感情を抱いた。
けれども次第に親しくなる内に、イルカが『何か』を秘めているのに気づいた。
それは恐らく三代目もナルトも知らないイルカのもう一つの側面で、イルカが決して人前で見せない別の顔だ。
それを知りたいと、カカシは思った。
それがどれほど醜く歪んだ感情であろうと__むしろそうであれば尚更__知りたい。
他の誰にも見せない顔を見せ、他の誰も知らない姿を曝け出して欲しい。
そして全てを与えられ、全てを受け止めたい。
全てを与え、全てを受け入れられたい。
そうすれば、イルカの前では『人』になれる気がした__元暗部でも、エリート上忍でもない、一人の男に。
こんな風に誰かに惹かれたのは初めてだ。
オビトへの感情は、どこまでが友情でどこからが恋愛だったのか判らない。恐らく先に身体の関係が出来て、愛していたと気づいたのはオビトが死んだ後だ。
イルカへの想いは違う。
碌に話もしない内に好きだと気づいてしまい、自分でも狼狽した。
手に入れられるのなら、どんな手段も厭わない。
けれども欲しいのはイルカの全てだ。仮初の関係など望まないし、権力ずくで言いなりにするなど空しいだけ。だから、馬鹿みたいに纏わりついて執拗に求愛した。
自分でも持て余しているこの想いを遂げられるのなら、何を犠牲にしても構わないとすら思う。
それでも。
無理なものは無理だ。
「……アイツとはガキの頃からずっと一緒だったんです。アイツの思い出よりもアナタを愛すると誓える。でも、アイツを忘れてしまうのは……不可能です」
カカシが言うと、イルカは暫く黙って相手を見ていた。
それから、微笑む。
「…それを聞いて安心しました」
「安心て__アンタ、俺を試したの?」
「あなたがあれほど愛していたオビトさんを忘れられるのなら、俺の事なんかすぐに忘れてしまうでしょう?そんな事……俺には耐えられませんから」
素っ気無さを装って、イルカは言った。
けれどもイルカが平静で無いのは口調に現れている。
恐らく、イルカの心臓は早鐘のように打っているのだろうと、カカシは思った。
「……イルカ先生。アナタ…そんなに俺の事を…?」
「…言ったでしょう?ガキの頃から、ずっと好きだったって…」
俯き、独り言のように呟いたイルカの姿に、カカシは微笑した。
イルカの側に座を移し、首に腕を回す。
「俺の全てはアナタのものですよ。だから…アナタの全てを、俺に下さい」
「……カカシさん……」
イルカは暫く躊躇うようにカカシを見つめ、それから、唇を重ねた。
「……イルカ先生……?」
急速に失われてゆく体温と視力に、カカシは相手の腕を掴んだ。
が、手に力が入らない。
戸惑いの表情を浮かべるカカシに、イルカは微笑んだ。
「薬が効いてきたみたいですね」
「…薬って……」
「さっきの食事に…。心配しなくても大丈夫ですよ?苦しんだりしませんから」
カカシは何か言いたげに口を開いた。そのまま、嘔吐する時のように痙攣する。
その唇から流れ落ちた鮮血に、イルカは背筋が震えるほどの喜びを感じた。
「…今日は、あなたの事をきっぱりと諦めるか完全に手に入れるか、どちらかにしようと決心していたんです」
「……何…故…?」
「あなたを再び暗部配属にするとの命令書を、預かっています。あなたが暗部に戻ってしまったら暫く会えなくなりますし、それに……」
途中で、イルカは一旦、言葉を切った。
崩れ落ちそうなカカシの身体を抱きしめ、続ける。
「あなたが大怪我をするかも知れないし、生命を落とすかもしれない。何年も想い続けたあなたをやっと手に入れたのに、いつ喪うかも知れないと毎日案じながら暮らすなんて……俺には耐えられないんです…」
イルカはカカシの頬に触れ、心配そうに眉を顰めた。
「俺がこんな人間だと判って、俺のことが嫌いになりましたか…?」
カカシは微笑した。
ゆっくりと、首を横に振る。
「……アナタのそういう……なところが、好き…す……」
「…あなたなら……判ってくれると思っていました……」
満足げに微笑んで、イルカは手に入れたばかりの恋人に口づけた。
そして、相手の身体がすっかり冷たくなってしまうまで、手を離さなかった。
fin
後書きと書いて言い訳と読む
タイトル交換任務作品。
なんつーか、暗部率低いですねえ;
イルカ死にネタ、壊れカカシに続いて、カカシ死にネタ、壊れイルカ。
まあ、平等(?)にって事で。
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