Teddy Bear
「まだこんなモノを持っていたのかね」
セフィロスのベッドからぬいぐるみを取り上げ、宝条は言った。
何年も前のクリスマスに、ガストがセフィロスに贈ったものだ。
「やだ、返して!」
抗議したセフィロスの手に届かないように、宝条はぬいぐるみを高く掲げる。
宝条を見上げるセフィロスの瞳の碧(みどり)が、ゆらりと揺らめく。
「……返せ」
ぞくりと、背筋が粟立つのを宝条は感じた。
透けるように白い肌と人形のような愛らしい容姿をしたこの子は、その見た目を裏切る生き物なのだ。
「…ガストは死んだよ」
「…!」
宝条の言葉に、セフィロスの眼が大きく見開かれる。
魔晄と同じ色をした美しい瞳。
そして、人間にはありえない形をした瞳孔。
「ガストは死んだ」
もう一度、宝条は言った。
「だから、こんなガラクタは、もう棄てるんだな」
「宝条君…!」
ドアを開けた男は、驚愕の表情と共に言った。
一瞬、強張った表情は、だがすぐに諦めたかのようなそれに変わる。
「……入りたまえ。外は、寒い」
宝条は中に入り、ドアを閉めた。
無遠慮に家の中__と言っても、リビングと寝室しかない小屋だ__に足を踏み入れ、周囲を見回す。
決して広いとは言えないリビングには、所狭しと本が積み上げてある。
呆れたものだな、と、宝条。
「かつて斬新な発想と緻密な理論で一世を風靡した天才科学者の隠れ家が、このあばら家かね?こんな環境では、研究も何も出来たもんじゃない」
「…私は、研究を止めた訳では無いよ」
そう、ガストは言った。
「ただ、生き物の生命を犠牲にする実験はもう、したくない。それだけの事だ」
「たわ言を」
吐き棄てるように、宝条は言った。
「動物実験無しでは新薬どころか、食品添加物の開発すら出来ない」
「…動物実験の意義を、過小評価する積りは無いよ」
宝条は一旦、口を噤み、それから眼鏡の位置を正した。
「お互い、建前論は止めよう。時間の無駄だ」
改めて、宝条はガストに向き直った。
「あの古代種の女は留守かね?」
「イファルナには手を出すな」
険しい表情で、ガストは言った。
そして内心で、どうやって宝条が自分の居所を突き止めたのか、会社がどこまで知っているのか、危惧する。
イファルナ、そして生まれたばかりのエアリスは、何としてでも護りたい。
私は古代種なんぞには興味が無いよ__そう、宝条は言った。
「今の私に興味があるのはジェノバとセフィロス、それだけだ」
宝条の言葉に、ガストは眉を顰めた。
「……ジェノバは恐ろしい厄災だ。星を傷つけ、古代種を滅ぼそうとした。君は一体……ジェノバをどうする積りなんだ?」
「処分すべきだと、あんたは言うんだろう。セフィロスも、他の子供たちも」
「そんな事は無い。私は__」
「セフィロスがあの古代種の女を傷つけるのを恐れ、あの女と共に逃げた」
違うかね?と、宝条は訊いた。
ガストは口を噤む。
2年前に会ったきりのセフィロスの姿が、脳裏に浮かぶ。
あの頃のセフィロスは、本当に天使のような子供だった。
恐ろしい厄災の細胞を持って生まれて来たとは信じられないほどの。
だがDNA鑑定の結果では、セフィロスの遺伝子のほぼ100%がジェノバのそれであり、人間のものとも、イファルナのものとも異なっていた。
セフィロスの受精卵は宝条とルクレツィアに由来するが、人類より遥かに強い生命力を持つジェノバの細胞にヒトの細胞が駆逐され、生まれた時には殆どジェノバとなっていたのだ。
妊娠初期、ルクレツィアに最初に心身の異変が現われた時に、気付くべきだったのだろう。
だがその頃、ガストはまだイファルナとは出会っておらず、たとえセフィロスのDNAを調べていたとしても、それが古代種のものではないと判別する事は出来なかっただろう。
その後、イファルナと出会い、時間をかけて信頼関係を築き上げた。
そしてそのイファルナから話を聞き、ジェノバ、セフィロス、イファルナ三者のDNAを比較調査した。
その結果を見た時の恐怖にも似た絶望は、今でも忘れられない。
そしてイファルナは、ガストに残された最後の希望となった。
今では、エアリスも。
「…セフィロスは、まだ何も知らない。何とかして、ジェノバ細胞の影響を排除する方法を見つけ出せれば__」
排除だと?と、宝条はガストの言葉を遮った。
「ホランダーの造った失敗作どもと違って、セフィロスは遺伝子のほぼ100%がジェノバのものだ。それなのに、どうやって影響を排除すると?あんたは要するに、遠まわしに殺せと言っているだけだ」
「違う…!」
ピリッと、部屋の空気が張り詰める。
眼鏡の奥から、宝条はガストを見据える。
「あんたが殺せと言わなくとも、セフィロスが何者であるか知れば、神羅はセフィロスを処分しろと言うだろうな__ジェノバ共々」
「…それは…」
否定できないと、ガストは思った。
ジェノバが厄災であると判ったのにそれを誰にも報告しなかったのは、そのせいでセフィロスが『処分』されてしまうのを危惧したからだ。
だが恐ろしい厄災である事が判明したジェノバの側に、希少な古代種の生き残りであるイファルナを置いて置く訳には行かない。
だからガストは、イファルナを連れて失踪したのだ。
「あんたが誰にもDNA鑑定の結果を話さなかったのは正解だった。見つけたのが私で良かったよ」
「…君は、どうして自分の子供を実験台にするような真似をしてしまったんだ」
「どうして、だと?」
理解できないと言うように、宝条は首を振った。
「私は科学者だ。眼の前に研究すべき題材があれば研究する。当然の事じゃないかね?」
「だが君の研究課題は兵士の強化だった。つまり君は、最初から我が子を人為的に強化された戦士に仕立て上げようとしていたのか?志願して実験に同意した兵士ならとも角、生まれてもいない胎児を使ってそんな実験するなど悪魔の所業だ。赦されるべき事じゃない」
ほう?と、宝条は眉を上げた。
「人為的に強化した赤ん坊を生み出すのは悪魔の所業で、人為的に古代種の能力を持った人間を造るのは赦されるのかね?」
「私はまだ実験に許可など出していなかった。嫌、計画そのものを破棄するべきだと、プレジデントに掛け合っていたところだったんだ」
その私の留守に君たちは……声を震わせたガストに、宝条はフン、と鼻を鳴らす。
「だったらどうしてあんたはその方法論を打ち立てた?どうしてご丁寧に論文にまとめて、私やホランダーの目に付く場所に放置した?」
「あれを破棄しておかなかったのは、間違いだったと__」
「自分の手を汚さずに、結果が欲しかったんだろう?」
宝条の言葉に、ガストは口を噤んだ。
そして、視線を落とす。
「……そう、思われても仕方ない……。元々私は、自分の子供で実験する積りだった…」
だがそれは、と、ガストは続けた。
「ジェノバが古代種であると信じたからだ。古代種の能力を持った人間をこの世に生み出せれば、魔晄の浪費で疲弊していくこの星を救えると思ったからだ。そして星を救う事は、ライフストリームを魔晄として利用する技術を開発してしまった私の義務だと……」
「悪気は無かった、と言うわけか__お目出度いな」
宝条の言葉に、ガストは眉を顰める。
「要するにあんたはジェノバを古代種と誤認するという『些細な』過ちを犯しただけで、厄災の遺伝子を受け継ぐ子供をこの世に生み出してしまった責任の全ては、私にあると言う訳だ」
「…君に全ての罪をなすりつける積りは無い。ジェノバ・プロジェクトを始めたのも、責任者もこの私だ」
「さすがは『天才』科学者だな」
そう、宝条は言った。
「あんたの突然の失踪でプロジェクトはガタガタになったのに、当のあんたはこんな片田舎で古代種との交配実験に、見事に成功していたという訳だ」
「実験などでは無い……!」
憤りに打ち震えるガストを、宝条は冷ややかに見据える。
「いずれにしろあんたが本物の古代種の子供を手に入れ、私に残されたのが『厄災』であるのは事実だ」
「君は……」
背筋がすっと冷えるような感覚を、ガストは覚えた。
初めて出会った日から、宝条は何を考えているのか判らない男だった。
知識は豊富で技術レベルも高い。
だが優れた研究者として大成する者に共通の何かが、決定的に欠けていた。
人一倍、研究に時間と労力を注いでいるにも拘わらず、研究に対する情熱が感じられない。
代わりにあるのは、恐ろしいばかりの冷徹さだけだ。
「一体……セフィロスをどうする積りなんだ…?」
私はただ、と、宝条は言った。
「自分に興味のある対象を研究するだけだ。それが悪魔の所業と罵られようと何だろうと、屁とも思わん」
ただ私が赦せないのは、と、宝条は続けた。
「あんたが私の制止を無視してセフィロスを構った事だ。あんたは勝手にセフィロスに期待し、セフィロスがあんたに懐き、信頼するように仕向けた。お陰でセフィロスは私の言葉に従おうとせず、あんたが失踪してから暫くの間なぞ、何も食べなくなって手を焼いた」
ずきりと、胸が痛むのをガストは覚えた。
それは物理的な痛みを伴うほどの、罪の意識だった。
ライフストリームと同じ色をした澄んだ瞳がこちらを見上げる様が、脳裏に浮かぶ。
そして、あどけない無垢な微笑みが。
頭を撫でた時の、しなやかな髪の感触まで蘇るかのようだ。
「…セフィロスには他に誰もいなかったじゃないか。君はルクレツィアをセフィロスから引き離し、セフィロスに親としての愛情を示すことも、自分が父親だと名乗る事もしなかった」
「自分の子供を実験台にするような人間が、親だなどと名乗れるとでも?」
唖然として、ガストは宝条を見た。
「あの女はジェノバ細胞の影響で精神的に酷く不安定になっていた__セフィロスに悪影響を与え兼ねない程に。引き離したのは、当然の事だ」
「……宝条君。君は……」
「そろそろ本題に入ろう。大分、時間を無駄にしてしまった」
言って、宝条はポケットに手を入れた。
「あんたが誰にもDNA鑑定の結果を話さなかったのは正解だった。が、今後も口を噤んでいるという保証は無い」
ポケットから出した手には、小型の拳銃が握られている。
ガストは、目を見開いた。
「あんたのあの古代種の女に対する態度は、最初から科学的でも客観的でも無かったな。と言うより、あんたの古代種に対する考え方が、そもそも科学的では無かった」
左のポケットからサイレンサーを取り出し、装着する。
「あんたは『善人』だから、自分を慕っているセフィロスを、みすみす殺させるような真似はしないだろうが」
まっすぐにガストに銃を向け、照準を定める。
「あの古代種の女と、あんた達2人の間に出来た子供を護る為ならば」
安全装置を外し、撃鉄を起こす。
「セフィロスを犠牲にする事も、辞すまい」
「私はセフィロスを護りたかっただけだ!恐ろしい人体実験を止める事は出来なかった。だからせめてセフィロスを__」
プシュ、と独特の音がし、ガストのシャツに紅い染みが出来る。
弾倉が空になるまで、躊躇う事無く宝条は引き金を引き続けた。
「お前には、もっと良い玩具をやろう」
言って、宝条は取り上げたぬいぐるみの代わりに幾つかの珠を示した。
「……これ、なに?」
赤や青、様々な色をしたそれに、セフィロスは興味を示したようだ。
「マテリアだ。それを使えば、色々と面白い遊びが出来る」
「…遊んで良いの?」
不思議そうに、セフィロスは宝条を見上げた。
宝条はいつも難しい本を読めと言うばかりで、遊ぶ許可などしなかったからだ。
「ここでは駄目だ。それに、一度に幾つもは駄目だ。どれか一つ選んで、あの部屋に入りなさい」
セフィロスは僅かに躊躇ってから、蒼い珠を選んだ。
特別に用意された防護室に向かう途中、立ち止まって振り向く。
桜貝のような唇が、何か問いたげに幽かに開いた。
が、セフィロスは何も言わぬまま、厚い扉の向こうに消えた。
宝条は本編での初登場時、エアリスとナナキの交配実験をしようとしていました。
あれって宝条のマッドっぷりを現すシーンだと思うのですが、それにしたってありえなくね…?と、今まで思ってました。
幾ら何でも人と動物で子供が生まれる訳ないし、やるならせめて人工授精でキメラを造るとかなんとか他にやりようがあったんじゃないかと。
で、よくよく考えると宝条にその程度の知識や技術が無かった筈は無いんですよね。
それにプレジデントに対して「古代種の研究に120年はかかる」とか言ってたし。
つまりあれは、宝条としては古代種の研究をする積りは全く無くて、交配実験のフリしてあわよくばエアリスを亡き者にしようとしてたんじゃないか、と。
真面目に古代種の研究して報告したら、セフィロスが古代種じゃないってバレてしまう虞がありますから。
プレジデントは最後までセフィロスを古代種だと信じていたようなので、宝条はジェノバが古代種では無い事を、ずっと秘密にしていたんですね。
少なくともうちの宝条は、セフィを護る為ならば何でもやります。
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