Judas


ガストが失踪した。
古代種の娘、イファルナを連れて。
古代種では無い事が判明したジェノバの申し子、セフィロスを置いて。



ガストの突然の失踪にプレジデント神羅は怒り、ガストの研究室は混乱に陥った。
そして宝条は、みすみすイファルナと共にガストを逃がしてしまった事に、臍を噛んだ。
ジェノバが古代種ではなく、それどころか古代種から『厄災』と恐れられ、古代種によって封印された存在だったのだと判った瞬間に、こうなる事は予測できた。
だが対策を講じる前に、ガストは姿を消してしまった。
「ガストはかせは、どこ?」
ガストがいなくなってから、セフィロスは毎日、宝条にそれを訊く。
宝条だけでなく全ての研究員に同じ質問を繰り返すが、誰も答えられない。
セフィロスはまだ5歳だが敏感に異変を感じ取ったのか、酷く塞ぎこんで食事に手をつけなくなった。
何も食べなくなってもう、3日目だ。
点滴でなんとか持たせてはいるものの、体力の無い子供にそんな状態を長く続けさせられる筈は無い。
「これを食べたらガストの居場所を教えてやる」
言って、宝条はむりやりセフィロスをテーブルにつかせた。
渋々とセフィロスはフォークを手にしたが、口にした料理を飲み込む前に吐いてしまった。
3日間の絶食とストレスのせいで、胃が食べ物を受け付けないのだ。

心中で、宝条はガストを呪った。
ガストがセフィロスを可愛がり、セフィロスがガストに懐く様を、宝条は苦々しく思っていた。
セフィロスには余計な知識も余計な感情も与えるべきではなかったのだ。
ガストは古代種に科学者らしからぬ理想を抱いていたようだが、宝条は違う。
だからジェノバが古代種では無かったと判っても、驚きも慌てもしなかった。
『厄災』だろうが何だろうが、ジェノバは興味深い研究対象だ。
だが、神羅はそうは思わないだろう。
古代種であれば『約束の地』の場所を知っている。そしてそれは、神羅カンパニーに莫大な利益をもたらす__
その前提で、ジェノバプロジェクトは進められて来た。
ジェノバが古代種では無かったと、それどころか『厄災』だったのだと神羅に知られたら、プロジェクトは当然、中断される事になる。
それだけは防がなくてはならないと、宝条は思った。

「これだけでも飲みなさい」
言って、宝条はポーションをテーブルに置いた。
セフィロスは憂鬱そうに、首を横に振る。
肩にかかるくらいに伸びた銀色の髪が、さらさらと揺れる。
ガストにその髪が母親譲りなのだと聞かされてから、セフィロスは髪を切るのを嫌がるようになった。
ガストの言葉を、セフィロスは何でも無条件に信じた。
全く、困った事をしてくれたものだ__そう、宝条は内心で毒づいた。
古代種に入れ込むようになってから、ガストは科学者に何より必要な客観性を失ってしまった。
だからこそ、ジェノバを古代種と誤認したのだろう。
「来なさい。点滴をする」
ポーションすら飲もうとしないセフィロスに、宝条は言った。
尤も、ポーションは戦地での兵士の体力回復の為に開発された飲み物だから、子供が飲みたがらない味なのは判っていたが。
憂鬱そうに自分について来るセフィロスを、宝条は見下ろした。
星の声を聞く事が出来ないこの子にどんな価値があると神羅を納得させるべきか__
それが目下の悩みの種だと、宝条は思った。



セフィロスが処置室からいなくなっているのに気づいたのは、30分後に様子を身に来た研究助手だった。
セフィロスは点滴の針を自ら引き抜き、どこかに姿をくらませていた。
「探せ!研究所内を、隅々まで探せ!」
報告を受けた宝条は、血相を変えて怒鳴った。
そして自らは警備室に電話し、この研究エリアの監視映像を送らせる。
研究エリアは神羅カンパニー本社ビルの上層階に位置し、機密保持の為に厳重な監視下に置かれている。
外部からの侵入は勿論、出てゆく者も監視されている筈だ。
だがその監視の網の目をかいくぐって、セフィロスは研究室の外に出てしまっていた。
監視カメラに映った銀髪の子供の後姿がセフィロスのものである事は、疑う余地も無い。
「外だ!セフィロスは研究室から出て行った。ビル内を探せ!」
ただちにビルの全ての出入り口を監視して子供が出てゆかないように警備員に指示すると、宝条は研究員たちに命令した。



始めて見る『外』の世界に、セフィロスは戸惑っていた。
研究室では皆、白衣を着ているのに、ここでは誰も白衣を着ていない。
それより何より、どうやったらガスト博士に会いに行けるのか判らない。
『じどうしゃ』という物があれば遠くにいけるらしいけれど、どこにその『じどうしゃ』があるのか、どこを目指せば良いのか判らないのだ。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」
いきなり見知らぬ男に話しかけられ、セフィロスは幾分か驚いて相手を見上げた。
研究室に誰か新しい助手が入った時は、ガストか宝条が必ず側にいて、セフィロスに引き合わせた。
だから知らない人にいきなり話しかけられるのは、初めてだ。
「託児所から抜け出して来ちゃったのかな?随分、階が離れているけど、一人でエレベーターに乗って?」
どう答えていいか判らずにセフィロスが困惑していると、見知らぬ女が近づいてくる。
「どうしたの、この子。あなたの子って事は__あり得ないわよね」
「何だよその、ありえないって」
「だってこんな可愛い子の親があなただなんて、考えられないわ」
笑って、女はしゃがみ、セフィロスの顔を覗き込んだ。
「それにしても、本当に綺麗な子ね。まるでお人形みた__」

途中で、女は言葉を切った。
その顔が、驚愕に歪む。

「……どうしたんだ?」
「この子の瞳…まるで、猫みたいに……」
女の言葉に、男もセフィロスの瞳を覗き込んだ。
そして、眉を顰める。
「何だこれ。気味が悪いな…」
「止めなさいよ、本人の前で……」
窘めるように女は言ったが、男と同じように眉を顰め、そしてセフィロスから離れる。

セフィロスは、後ずさった。
けれども後ろが壁で、それ以上、動けない。

「と…にかく、警備員に連絡しよう」
「そうね__さ、こっちにいらっしゃい」
差し出された手に、セフィロスは首を横に振った。
女は手を差し伸べてはいたが、それをセフィロスが取る事を望んではいないのだと、無意識の内に感じ取っていたのだ。
「その子に触るな…!」
助手たちと共に駆け寄って来た宝条の姿に、セフィロスは安堵した。
研究室から抜け出した事を後悔していた矢先だったので、見知った顔を見て安心したのだ。
だが宝条の苦りきった渋面に、その安堵もすぐにかき消される。
「……怪我は無いか、セフィロス?」
またあの甲高く耳障りな声で叱られるのかと思っていると、意外にも、宝条は穏やかな口調で尋ねた。
黙ったまま、セフィロスは首を縦に振る。
「では一緒に帰ろう。お前のいるべき場所は、ここじゃ無い」
仕方なく、セフィロスは宝条について歩き出した。



「お前がどうして研究所を抜け出したのかは判っている」
だから理由は訊かんよと、宝条は言った。
セフィロスは処置室のベッドに横たえられ、細い腕には点滴のチューブが差し込まれている。
「だがお前はここでは護られているんだ。外に出ようなどと、考えるものじゃない」
「……どうして?」
セフィロスの問いに、宝条は眉を顰めた。
「曖昧な質問だな。どうして護られているのか、どうして外に出てはいけないのか、そのどちらを訊いているんだね?」
セフィロスは答えなかった。
構わず、宝条は続ける。
「どちらの質問も、答えは同じだ__お前が、特別な存在だから」

私は信じているんだよ
君はその大切な役割を受け継ぎ果たすために生まれた、特別な存在なのだ、と

ガストの言葉が、セフィロスの脳裏に蘇る。
その言葉の意味はよく判らないけれど、言葉だけは覚えている。
そして、自分がガストに期待されているのだと、漠然と感じていた。
けれどもガストは突然、いなくなってしまった。
ひと言の言葉も残さずに。
「……僕のひとみ、きみがわるいって」
真っ白な天井を見つめ、セフィロスは言った。
「みんな、そう思ってるの?ガストはかせも?」
「…そうかも知れんな」
ぴくりと、セフィロスの指が震える。
「だからなの?だから、ガストはかせはいなくなってしまったの?」
「セフィロス」

静かに、宝条は幼子の名を呼んだ。
セフィロスは、彼がつけた名だ。
神の存在など全く信じようともしない宝条が、聖書の創世記にある名を選んだ事を、周囲は訝しく思っていた。
その宝条の意図を知る者は、誰もいない。

「私だけは、お前を裏切ったりはせんよ」
たとえ、と、宝条は続けた。
「お前が何者であろうと。お前が、どんな姿になろうと」
「うらぎった……ガスト…はかせ……」
呟くように言って、セフィロスはゆっくりと目を閉じた。
点滴に混ぜられた薬の効果だ。
宝条はセフィロスが眠ってしまうと、席を立った。
これからやらなければならない事が、山のようにあるのだ。
まずはガストの後任者としての地位の確保。
ジェノバプロジェクトの続行を会社に認めさせる為の理由付け。
研究助手を新たに募集し、ガストに傾倒していた者達は追放すべきだろう。
それと共に、ガストの行方も捜さなければならない。
ガストの口からセフィロスが古代種では無いと神羅に知られる事だけは、絶対に防がなければ__



ガストが失踪した。
セフィロスは『裏切り』という言葉を覚え、そして、他者に心を開かなくなった。








ルクレツィアは妊娠のかなり初期から精神状態が良くなかったので、セフィロスに名前をつけたのは宝条だと思います。
聖書の創世記で、エデンの園の中央に生えているとされる生命の木。
そういう名を選んだ事は、宝条のセフィロスに対する強い期待を表しているのだと思います。
アンジールはジリアンがつけた名でしょうね。
ジェネシスは…。うーむ、誰だろう……


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