チョコレートの『小枝』を真顔で『こわざ』と読む【セフィロス】


(2)



アンジールたちが視線を転じると、そこに立っていたのはプレジデントの側にいた、年配の女性だ。
ドレスでは無くビジネス・スーツなので、招待客でないのは明らかだ。
「あなた方が、アンジールとジェネシスね」
「そうですが、あなたは…?」
訊き返したアンジールに、プレジデントの主席秘書なのだと女性は答えた。
常に笑顔を絶やさない、上品な老婦人だ。
小柄な秘書は見上げるようにして、セフィロスに向き直った。
「せっかくのパーティなのに、何も食べられないのではつまらないでしょう?」
「…別に」
短く、セフィロスは言った。
何となく気まずく思えて、アンジールとジェネシスはオードブルの乗った皿をテーブルに戻す。
セフィロスの普段の食事は、全て宝条が研究室で用意している。
必要な栄養を過不足無く摂取する為だと言い、それ以外のものをセフィロスが口にするのを、宝条は禁じていた。
「お腹が空いたなら、これをつまむと良いわ」
言って、秘書はバッグからチョコレートの小箱を取り出した。
パッケージに、『小枝』の文字がある。
「……『こわざ』…か」
そう、セフィロスは呟いた。

……は?

アンジールは、自分の耳を疑った。
傍らの幼馴染を見ると、ジェネシスも固まっている。
セフィロスの呟きが聞こえたのか、記者たちも唖然とした表情だ。
「どうかしら、セフィロス?」
周囲の困惑とは対照的に、秘書は穏やかな笑みを浮かべる。
セフィロスは暫く口を噤んでいたが、やがて、「要らない」と、小さく言った。
そして、そのまま踵を返し、レセプション会場の中央に戻る。
タークスが、セフィロスの後を追おうとした記者たちを別室に連れ出すのを、アンジールとジェネシスは言葉も無く見送った。
今の『失言』を記事にするなと脅している光景が、目に浮かぶ。
幸い、招待客たちはセフィロスを遠巻きにしていたので、彼らには聞かれていないようだ。

「……今のはどういう意味なんです?」
周囲に人がいなくなってから、ジェネシスが秘書に訊いた。
「セフィロスが読み間違いなんてする筈が無い。あれには、何か意味があるんでしょう?」
噛んだのかも知れないぞ?__内心で、アンジールはジェネシスに言った。
以前、ミッションに同行した時に、セフィロスが『無血開城』を『ムケチュカイジョウ』と言った時の事を思い出したのだ。
「さあ…。どうかしらね」
秘書は、言って笑った。
「他の人には話せないのよ。約束だから」
「つまり…一種の暗号か…」
黙ったまま、アンジールは秘書とジェネシスのやり取りを聞いていた。
それから、セフィロスに視線を転じる。
先ほどまでは明らかに不機嫌そうだったが、今は大人しくプレジデントと共に招待客の相手をしているようだ。
そしてセフィロスが不機嫌な態度を改めたのには、何らかの理由がある筈だ。

「そう言えば…」
不図、思い出した事があって、アンジールは口を開いた。
「セフィロスはいつも身の回りの品をプレジデントの秘書が用意してくれると言ってましたが、それはあなたなんですか?」
秘書は頷く。
「いつだったかミッションで海軍基地に行った時、セフィロスに浮き輪を持たせたのも…?」
「あの時は、残念だったわね」
穏やかな笑顔を浮かべたまま、秘書は言う。
あの時、休暇では無くミッションなのだという事情を秘書が把握していなかったのだろうとアンジールは考えていた。
だが、秘書のいわくありげな笑顔を見ていると、そうでは無かったのかも知れないと思えてくる。
「もしかして、あなたは__」
「私はプレジデントの秘書ですから、こんな事を言う立場には無いのだけれど」
アンジールの言葉を遮って、秘書は言った。
「セフィロスはね、あなた方と一緒にいるのが好きなのよ。楽しいし気が休まるって、いつも言ってるわ」
「セフィロスが…?」
アンジールとジェネシスは、顔を見合わせた。
その頃、セフィロスとはミッションを通して親しくなり始めていたが、友人と呼べる程の間柄になったのは、もう少し、後の事だ。
「私ももう、戻らないと」
言って、秘書はアンジールたちに軽く会釈し、踵を返した。





「ソレって、結局、どういう事だったのさ?」
アンジールの話が終わると、ザックスは訊いた。
「後になってセフィロスに訊いてみたが、詳しい事は話してくれなかった」
ただ、と、アンジールは続ける。
「セフィロスが研究所を出てから、ずっと世話をしていたのがその秘書で、彼女はセフィロスの事を孫のように可愛がっていたらしい」
「優しい婆ちゃんなんだ」
「それはどうかな…」
曖昧に、アンジールは首を振る。
「後で知ったんだが、その秘書は神羅カンパニーでは一番の古株で、優しげな外見と違って相当なやり手だったらしい。秘書課の他の社員からは、かなり恐れられていた」

プレジデントの主席秘書という立場なら、ジェノバ・プロジェクトの実情を知っていた可能性も低くないと、アンジールは思った。
そしてそうであるなら、セフィロス、アンジール、ジェネシスの3人が何者であるか、承知していただろう。
だが立場上、会社の利益に反することは口に出来ない。
もしかしたら、プロジェクトの内実を知っていながら口を噤んでいる事に罪悪感を覚え、セフィロスの身の回りの世話を焼く事で埋め合わせをしようとしていたのかも知れない。

ともかく、と、アンジールは続けた。
「態度には余り表さなかったが、セフィロスがその秘書に心を開き、信頼していたのは確かだ。2人切りでいる時には、彼女がセフィロスの不満を聞いて、宥めてやったりしていたのかも知れん」
「2人切りでいる時だけ…?」
「社長秘書という立場上、会社や上層部のやり方を非難するような事は大っぴらには言えなかったんだろうな。だが自分がセフィロスの味方なんだと、その気持ちは伝えていた筈だ」
ザックスの問いに、アンジールは言った。
そして、セフィロスが話してくれなかったから全ては憶測なんだが…と前置きして続ける。
「あの秘書はおそらく、ただ単に身の回りの必需品を揃えるだけでなく、セフィロスの為に出来るだけの事はしてやってたんだろう。口先で宥めていただけなら、セフィロスが心を開いたとも思えないし。それで彼らの間には、2人だけの秘密があったんだろうな」
「だから、暗号みたいな取り決めをしてたって事か…」
感心したように、ザックスは言った。
「やっぱすげぇ婆ちゃんだな。その人、今でもプレジデントの秘書やってんのか?」
ザックスの問いに、アンジールは首を横に振った。
「何年も前に病気を理由に退職して…その後すぐ、亡くなった。俺とジェネシスは、セフィロスに頼まれて一度、一緒に見舞いに行ったが…。それが、あの人に会った最後になった」
「そうなんだ…」

その時の事を、アンジールは思い起こした。
秘書の住まいは高級マンションの一角にあり、居心地よさそうに整えられていた。
が、生涯独身だった彼女に身寄りは無く、葬儀は神羅カンパニーによって、ひっそりと執り行われた。
見舞いに行った時、セフィロスは殆ど何も話さなかった。
秘書も同じだ。
アンジールとジェネシスは、間を持たせようと当たり障りのない話題を続けるのに苦労したのを覚えている。
今にして思えば、彼女はあの時に何もかも話してしまいたかったのかも知れない。
だが何も言わず、墓に秘密を持って行った。
3人に「お見舞いに来てくれてありがとう」と言った時、彼女が何を想っていたのか、今となっては知る術も無い……

「でさ。今日の晩御飯て、何?」
アンジールのシリアスな回想を打ち切って、明るくザックスが訊いた。
チョコレートの小箱は、いつの間にか空になっている。
「お前…食うことしか頭に無いのか?」
「だってオレ、腹へったもん」
ニパッと笑い、ザックスは言った。
幸せな奴だ__内心で、アンジールは軽く溜息を吐いた。
が、もしかしたらしんみりした雰囲気を明るくしようとして、あえて脳天気に振舞っているのかも知れないと思い直す。
「ロールキャベツにしようと思っていたが、レタスだしな…」
「そんじゃ、ロールレタス?」
「それも悪くないが、ジェネシスがレタス嫌いでな。サラダに入れても選り分けて残すから、あいつの分には入れないんだ」
「そんじゃ、ロールレタスに決まりv」
明るく笑って、ザックスが言う。
アンジールは幽かに眉を顰めた。

------お前…そんなにジェネシスが嫌いか…?

何となく、身体の力が抜けるのを感じながら、内心で、アンジールはぼやいた。
ザックスがキャベツを買って来なかったせいでロールレタスになったなどとジェネシスが知れば、また喧嘩になるのは目に見えている。
「レタスはサラダにして、挽肉と残り物の野菜でキャセロールでも作るか」
「じゃあオレ、ロールレタスとキャセロールのどっちが良いか、セフィに訊いてくる♪」
元気良く言って、ザックスはキッチンを出て行った。
何だか嫌な予感はしたが、アンジールは敢えてザックスを止めなかった。
他の好き嫌いは克服したのに、レタスだけ駄目なんて、ジェネシスも大人気ない。
調理すれば生のレタスより食べやすいだろうし、苦手を克服する良い機会だろう……

やがてキッチンは、ロールレタスを煮込む匂いで満ちた。
夕食時、ジェネシスは黙ってレタスを剥ぎ取り、中の挽肉だけ口に運ぶ。
ロールキャベツの代わりにロールレタスになったのは、セフィロスのリクエストだからだと聞かされているので文句は言わないが、不満そうではある。
「…ロールキャベツよりあっさりしているし、食べやすいな」
「でしょでしょ?セフィなら気に入ると思った」
セフィロスの言葉に、嬉しそうにザックスは言った。
対照的に不満げなジェネシスを見遣り、アンジールは幽かに苦笑する。
そして、明日はジェネシスの為に、りんごのパイでも焼いてやろうかと考える。

神羅屋敷の1日は、今日も平穏である。









■チョコレートの『小枝』を真顔で『こわざ』と読む【セフィロス】
噛むのはありですが、読み間違いはしないと思います。
パッケージに『小枝』とあるにも関わらず『こわざ』という名前だと思い込むとかは、ありそうですが。

今回出てきた社長秘書は、『星の見る夢』シリーズでも何度か名前だけ出てきた人です。
(『ニブルヘイム便り』とは別シリーズですが、設定は結構、かぶってます)
セフィロスはとても孤独だったけれど、密かに見守っていた人たちは、何人もいたのです。


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